高岡銅器・鋳物の町 金屋町重要伝統的建造物群保存地区

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高岡市に3つある重要伝統的建造物群保存地区の最後になりましたが、金屋町へやって来ました。

高岡城を築城した前田利長が城下の町づくりを進める中、産業発展を図るため中世より鋳物が盛んであった西部金屋村(現在の高岡市戸出西部金屋)から鋳物師7人を呼び寄せて造られた町です。さきほどの山町筋は商人の町でしたが、金屋町は職人の町。鋳物という火事が起きやすい業種柄、類焼を避けるために千保川の向こう側に立地しています。

石畳の通り沿いに千本格子(さまのこ)の美しい町家が連なっていて、千本格子の家並みと呼ばれています。先に行った高岡市吉久重要伝統的建造物群保存地区も千本格子(さまのこ)を売りにしていました。

高岡の他エリアにもあるのですが、さすがに本場だけあって銅板張りの住宅も多いような気がします。

銅の緑青が美しい。

ウランガラス鋳芸館。ウランガラスって?極微量のウラン化合物を含むガラスで、紫外線を当てると美しい蛍光緑色で輝くそうです。

夕方17時前という時間帯のせいもあるのかもしれませんが、ほとんど人通りはなく、たまに車が通る程度。賑やかな観光地という雰囲気はなく、しっとりと落ち着いた街です。

通りには鋳物・銅器製造販売の店がいくつか並んでおり、店先に作品を展示している業者もあります。

江戸末期1860年創業の大寺幸八郎商店。

高岡市鋳物資料館。営業時間が16:30までで既に終わっていました。

石畳の通りから少し離れた場所に旧南部鋳造所のキュポラ及び煙突が残っているので見に行ってみました。

キュポラとは金属を溶かす溶解炉。この旧南部鋳造所のキュポラは大正13年(1924年)に建設され、平成12年(2000年)まで稼働していたそうです。「キューポラのある街」という古い映画がありますが、あれは同じく鋳物の町として有名な埼玉県川口市が舞台でしたね。

最後にさきほどの高岡市鋳物資料館の裏手、千保川沿いの金屋緑地公園にやって来ました。

ここは鋳物工場跡地で高岡鋳物発祥地という石碑が建っています。

金屋町の散策を終えるともう17時過ぎ、冬なのでかなり薄暗くなってきました。更に高岡大仏と射水神社を訪れる予定でしたが、もう時間切れですね。

高岡の地名は勿論知っていましたが、2ヶ所の国宝と3ヶ所の重要伝統的建造物群保存地区をはじめ、これほど観光名所が多い所とは知りませんでした。当初は白川郷・五箇山から金沢へ向かう途中に通過するだけのつもりでしたが、1泊&町歩きをして本当に良かったです。

金屋町周辺の地図とホテル

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黒漆喰土蔵造りの町並み 高岡市山町筋重要伝統的建造物群保存地区

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続いて高岡市山町筋(やまちょうすじ)重要伝統的建造物群保存地区へやって来ました。

初代加賀藩主(加賀前田家2代目当主)・前田利長が慶長14年(1609年)に高岡城を築城し、旧北陸道沿いに商人町を造ったもので、以降物資集散の拠点として発展してきました。

山町という地名はなく、御車山(山車)を所有する「通町」「御馬出町」「守山町」「木舟町」「小馬出町」「一番町」「三番町」「源平町」「二番町」「坂下町」の10ヶ町を指します。

坂下町通りとの交差点付近から散策をスタートします。

羽岡家、明治30年代建造と書かれた説明札が掛かっていました。高岡は明治33年(1900年)に市街地の6割を焼失する大火に見舞われた歴史があり、この山町筋の建造物も多くが大火以降に建てられたものになります。

呉服屋「牧野屋」、窓の上のペディメント風の意匠が洒落ていますね。

せいろ・ふるい製造卸、金網各種の「森田商店」。

店先のこれは何でしょう?ショーケースだったのかな?

畳表・荒物「井本商店」。屋根の上に乗っている小屋根は明かり採り用でしょうか。

高岡市土蔵造りの町資料館(旧室崎家住宅)。見学したかったのですが、原則土日しか営業していないようです。室崎家は明治の初めから昭和20年(1945年)まで繊維問屋を営んでいました。

黒光りする屋根瓦、一見タイル張りのような釉薬煉瓦造りの袖壁の住宅が多いです。釉薬が使われた黒瓦は雪を滑らせて落ちやすくしたり、溶かしたりする効果があるとされ、富山や石川など雪国でよく見られるようです。

観音開きの窓扉があり、いかにも土蔵造りという感じの梅田呉服店。

いくつかテナントが入っている複合施設の山町ヴァレー。以前は谷道商店という文具商の建物で、明治期の建物を昭和4年(1929年)に現在の姿に改築?増築?されたようです。

山町筋に面して2階建の部分は明治36年(1903年)、3階建の木造洋風建築は昭和4年(1929年)に建てられ、奥には5つの土蔵群があります。

山町筋を代表する歴史的建造物の「菅野家住宅」、明治33年(1900年)の高岡大火直後に再建されたもので国指定重要文化財。菅野家は北前船の回船問屋として財を成し、その後高岡銀行(北陸銀行の前身の一つ)や高岡瓦斯(現在の高岡ガス)を設立するなど高岡経済界の重鎮でもあります。山町筋の伝統である黒漆喰塗りで屋根最上部の大棟部分は箱棟と呼ばれる箱状に盛り上がった構造になっています。

防火壁の役割があるタイル張りの立派な袖壁。軒を支える鋳物柱も山町筋の町家の特徴の一つです。

菅野家の隣にある山町茶屋は元呉服屋さんだった建物。

こういう建物は昭和初期っぽいです。

筏井家住宅は明治36年(1903年)築で富山県指定有形文化財。筏井家は代々製糸業や糸の卸商を営んでいました。

江戸時代から薬商を営んでいる棚田保寿堂(棚田薬局)。2階に掲げられている看板は「薬肆(くすりし)」と読むらしい。

木舟町交差点にある計量機器専門商社・塩崎商衡は明治期の土蔵造りの建物を昭和10年(1935年)改築して西洋風の意匠にした看板建築のような面白い構造。

井波屋仏壇店は明治38年(1905年)に建てられた小規模な建物ですが、特徴的なアーチ状の窓があり、その上はテラスになっているようです。

大正3年(1914年)に高岡共立銀行本店として建てられた西洋建築、通称「赤レンガの銀行」。その後2019年まで富山銀行本店として利用されていました。東京駅の設計で有名な辰野金吾の監修を受けて、清水組の田辺淳吉が設計したそうです。

裏に回ってみたら、あれれっ。

こちらは古い町家を通りに面している部分だけ洋風に改装したような建物。昭和初期くらいでしょうか。

また山町筋に戻って・・・

これも山町筋ではよく見るのですが、大棟の部分に 雪割り冠(雪割り瓦)があります。雪国ならではですね。

高岡関野神社の例大祭で曳き回される御車山(みくるまやま)7基が展示されています。山町10ヶ町なのになぜ7基?と思ったのですが、複数の町で共有している御車山もあり、また坂下町は山車ではなく、御車山を先導する獅子頭・源太夫(げんだい)獅子を保有しています。

若森商店は質屋さん。

高岡信用金庫本店は歴史的建造物ではないと思いますが、周囲の景観に溶け込むように配慮されたデザインです。

高岡郵便局の隣、NTT西日本高岡市外ビルの敷地に本陣跡の碑が建っています。山町筋は旧北陸道の宿場町でもありました。本陣とは江戸時代以降の宿場で大名・幕府役人・勅使など身分が高い者が泊まった宿泊施設のこと。

次の金屋町へ向かう為、山町筋から離れてすぐ、また立派な土蔵造りの住宅が出てきました。

こちらも明治33年(1900年)の大火直後に建てられた佐野家住宅、通りに面した主屋は登録有形文化財。銅器製造が盛んな高岡らしく観音開きの窓扉は銅張で更に重厚感が増しています。現在はAhora Aqui(アオラキ)というレストランとして利用されています。

古い町並みが好きで各地の重要伝統的建造物群保存地区へ行くのですが、山町筋はここならではの特徴的な構造も多く、非常に興味深く散策出来ました。

山町筋周辺の地図とホテル

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国宝 瑞龍寺 前田利長公の菩提寺 高岡一の仏教寺院

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高岡駅前で昼食を済ませ、次は瑞龍寺に向かいます。

高岡山瑞龍寺は前田家3代目当主(加賀藩2代目藩主)前田利常が、加賀藩初代藩主で前田家2代目当主の前田利長の菩提を弔うために慶長19年(1614年)建立されました。

前田と言えば初代当主・前田利家が有名ですが、利長は利家の長男で最期は高岡城で亡くなっています。

瑞龍寺と前田利長公墓所のある前田公園は八丁道という参道で結ばれています。長さが八丁(八町)・約870メートルあることからこの名が付いています。

途中には前田利長公之像があります。

拝観料は大人500円。もう総門から立派なのが伝わってきます。

総門の手前に展示されていた法堂の鬼瓦、めちゃくちゃ大きい。

総門から山門、仏殿と一直線に並ぶ空間美。

瑞龍寺の伽藍配置図。人体に例えられています。

本当に美しい寺院ですよね。

雄大な山門は文政3年(1820年)の竣工で国宝です。

山号「高岡山」の扁額(の原本)は黄檗宗の開祖・隠元隆琦禅師の揮毫。瑞龍寺は曹洞宗の仏教寺院ですが、同じ禅系で臨済宗から分離した黄檗宗(大本山は京都・宇治の萬福寺)の影響も受けています。私は長崎で黄檗宗の存在を初めて知り、それ以降興味を持っていたので、なんだか不思議な縁を感じます。鎌倉時代に日本へ伝わった曹洞宗や臨済宗と比べ、黄檗宗は江戸時代と比較的最近伝わったことから中国の影響が強く残っています。

山門を抜けると正面に仏殿が見えているのですが、その手前左右には禅堂と大庫裏があります。山門・禅堂・大庫裏・法堂は回廊で繋がっており、その中心に仏殿が位置します。

仏殿は万治2年(1659年)の竣工で国宝に指定されています。

「大雄殿」という扁額が掲げられています。黄檗宗では本殿のことを大雄宝殿と呼ぶのですが、その影響かもしれません。大雄(だいおう)とは釈迦の別称です。この扁額も隠元禅師の揮毫です。

須弥壇に釈迦如来と脇侍の普賢菩薩・文殊菩薩が安置されています。

本尊の釈迦如来。

大権修理菩薩(大権修利菩薩)。初めて知ったのですが、禅宗、特に曹洞宗寺院で尊重され祀られる尊格で伽藍神の1つ。右手を額にあてて遠くを見る姿勢で表現され、身体には唐時代の帝王の服装をまとっている姿で表現されることが多いらしい。

仏殿の裏には法堂(はっとう)があります。法堂は明暦元年(1655年)の建立でこちらも国宝に指定されています。

この「瑞龍寺」の扁額も隠元禅師の揮毫。

それでは回廊を回ってみましょう。

大茶堂の前に安置されている賓頭盧尊者。「なで仏」ともいわれ、自分の体の悪い部分と同じ箇所を撫でると、病気やケガが治るとされています。

鐘楼の1階部分に安置されている延命地蔵菩薩像。

寺院の台所である大庫裏。

中国から渡来した黄檗系仏師・范道生の作とされる韋駄天像。黄檗宗では伽藍の守護神として山門の内側に安置されることが多いです。

主にお堂への出頭を促す合図を送るための鳴物で雲の形をした「雲版(うんぱん)」。雲は雨を降らせる恵みの象徴であり、火事や災害を防ぐ意味合いもあるとされています。

回廊。

浴室の守護神・跋陀婆羅菩薩(ばっだばらぼさつ)。

瑞龍寺で最も有名な仏像、東司(トイレ)の守護神・烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)。この像はレプリカで、本体は法堂に安置されていて撮影禁止となっています。

座禅修業の場である禅堂(僧堂)。

日常の行事や儀式の刻限を報じる魚の形をした木製の法具「開梆(かいぱん)」、「魚梆(ぎょほう)、飯梆(はんぼう)」とも。木魚の原形とされています。

ガイドっぽい方と山門の2階から降りてきた参拝客がいて、見学出来るのかなと思ったのですが、一般は立入禁止で特別な許可が必要なようです。

回廊の外側、法堂の脇あたりにある石廟。向かって右から、前田利長、前田利家、織田信長、織田信長の側室・正覚院(利長の正室・永姫の母)、織田信忠が祀られています。

前田利長公を祀る石廟。中には宝篋印塔があります。

きれいに整備された境内に存在感のある伽藍、威厳に満ちた寺院でした。

2022年12月に勝興寺の2棟が国宝に指定されるまで、瑞龍寺は高岡市唯一の国宝でした。山門・仏殿・法堂の3棟の国宝に加え、国指定重要文化財も7棟あり、見どころがたくさんあります。

この後の予定も詰まっているので少し急ぎ足で拝観しましたが、所要時間は35分でした。

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らぁめん次元で富山ブラックラーメン 意外と塩辛くない 高岡駅前でランチ

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吉久から路面電車で高岡駅前に戻って来まして、遅くなりましたが昼食にしたいと思います。

ご当地グルメの富山ブラックラーメンか氷見うどんで迷ったのですが、ブラックラーメンにしました。

やって来たのは、高岡駅前のホテル・オフィス・ショップなどが入る複合施設「ウイング・ウイング高岡」1階のらぁめん次元。

メニューはこちら。

魚介黒醤油ラーメンも気になるのですが、初めてなので先ずは普通の黒醤油ラーメンにしようかな。

注文した際に店員さんから「味が濃いラーメンなので、薄味も出来ます」と言われましたが、通常通りでお願いしました。見た目で観光客だと分かったのでしょうかね。

有名店なのかいくつか芸能人などのサインも飾られています。

やって来ました、黒醤油ラーメン。噂通りスープの色が黒いですね。富山ブラックラーメンは戦後復興の肉体労働者向けに考案されたもので、ご飯と一緒におかずとして食べられるように塩味が効いていて味の濃いラーメンです。また塩味だけではなく、ピリっと黒胡椒が効いているのも特長です。

麺は中太くらいの縮れ麺。細麺より太麺、ストレート麺より縮れ麺が好きなので、結構好みに近いです。

スープは見た目の黒さから想像するほどしょっぱくはなかったです。醤油の香ばしさと旨味が感じられて、ほとんど飲んでしまいました。

メニューを見ると、焦がし醤油とチャーシューの煮込みダレを合わせ、塩分を抑えたまろやかなブラックラーメンと書いてあります。ここの黒醤油ラーメンは、富山ブラックラーメンの中では塩辛さは控えめな部類なのかもしれません。

またご当地グルメセットを注文したので、とろろ昆布おにぎりと高岡名物コロッケも付いてきます。昆布もコロッケも一人当たり・一世帯当たりの消費量が日本一というソウルフードであり、町おこし・観光プロモーションにも一役買っているようです。

「とろろ」昆布おにぎりとなっていますが、「おぼろ」昆布じゃないんですね。考えたこともなかったのですが、ネットで調べてみると、とろろ昆布は何枚もの昆布を重ねてプレスして固め、その側面を機械で削ったもの、おぼろ昆布は昆布の表面を職人が手作業で薄く削ったものだそうです。

コロッケも普通においしいですが、「高岡コロッケ」というので何か特徴があるかと言えば、特にありません。

初めての富山ブラックラーメンでしたが、とてもおいしかったです。個人的にはかなり好みのラーメンでした。

尚、支払いには現金・クレジットカードの他、交通系ICカードなどの電子マネー、QRコード決済各種も利用可能でしたので、私は楽天ペイで。

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さまのこの町並み よっさ 高岡市吉久重要伝統的建造物群保存地区

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高岡市には古い町並みが残る重要伝統的建造物群保存地区が3ヶ所もあります。

その内、山町筋金屋町は比較的中心部にあり、互いに近いのでまとめて行こうと思っていましたが、もうひとつの吉久は離れているので眼中にありませんでした。

旅行直前に(訪れる予定の)気多神社や勝興寺がある伏木地区の地図を見ていたら、「あれっ、小矢部川に架かる橋を渡ったら吉久?」ということに気付き、急遽予定に組み込みました。

正式には「よしひさ」と読むのですが、愛称として「よっさ」と呼ばれることもあるようです。

吉久に着いて最初に西照寺という浄土真宗本願寺派の仏教寺院へやって来ました。

境内に吉久御蔵跡があります。と言っても説明板が立っているだけですが。

吉久は小矢部川と庄川に挟まれた細長い中洲のような地形で河口付近にあります。承応4年(1655年)に加賀藩の年貢米を保管する「御蔵(おくら)」が建てられたことから、海運・水運をメインとする物流の拠点として発展した歴史があります。

現在は周辺に大きな工場や倉庫が立ち並ぶ中、ぽっかりと古い町並みが残っているという不思議なエリアです。

それでは旧街道を歩いてみましょう。

軒先に小さな鐘が釣り下がっているなあと思ったら、智徳寺という仏教寺院でした。

吉久は「さまのこの町」と名乗っているように、さまのこ=千本格子が特徴です。この後に行った金屋町重要伝統的建造物群保存地区も「千本格子の家並み」を謳っています。

元米商の能松家住宅主屋。明治期の建物で有形文化財に登録されています。吉久地区にはこの能松家住宅主屋を含め4件の登録有形文化財があります。明治になって御蔵が廃止された後も、吉久は多くの米穀商が住んでいました。

農庵(みのりあん)という看板が出ていました。後で調べるとイベントスペースとして使われているのかな?

石灯籠が並んでいますけど、何だろう?

神明社という神社でした。参拝はしませんでしたが、神明社なので内宮(天照大御神)と外宮(豊受大御神)を祀っているはず。

有藤家住宅は大正5年(1916年)築で登録有形文化財。

さまのこ屋という町家カフェ。

明治期に建てられ、大正期に増築された丸谷家住宅(旧津野家住宅)主屋は登録有形文化財。奥にある土蔵も有形文化財に登録されています。

あっという間に吉久地区の散策も終わり、新吉久駅(電停)から万葉線で高岡駅へ向かいます。万葉線は高岡駅から越ノ潟駅(射水市)を結ぶ路線。高岡駅~六渡寺駅が路面電車の高岡軌道線、六渡寺駅~越ノ潟駅は通常の鉄道である新湊港線の2路線に分かれていますが、一体運営されており、特に乗り換えなどはありません。

新吉久駅は道路幅が狭いため、下りはかさ上げされた上屋付きのホームがありますが、上りはペイントされた安全地帯の乗り場のみ。隣の吉久駅は上下線共にペイントされた安全地帯の乗り場のみです。

上り用の待合スペースは道路脇に。

使用車両は2タイプあり、2車体連接型のモダンなMLRV1000形(アイトラム)。

こちらはザ・市電という感じのデ7070形。

新吉久駅の副駅名で付いているTEKリサイクルセンターというごみ処理場が目の前にあり、昭和25年製造のデ5000形(デ5022号)が展示されています。

万葉線は広小路・米島口区間を除き単線ですが、上下線のすれ違いの為に新吉久駅周辺は複線化されています。

私が乗ったのは古いタイプのデ7070形でした。

吉久重要伝統的建造物群保存地区は規模が非常に小さく、お店などもほとんどありません(グーグルマップで確認する限り、通りに飲食店が2軒のみ)。せめて登録有形文化財の建物には説明書きの札などがあれば、理解が深まって良いと思います。

町が発展した歴史のストーリーは個人的に興味を持ちましたが、多くの人にとって観光的にはあまり面白味はないかなあと思いました。住民の方が観光地化・にぎわいを望んでいるかは分かりませんが。

見学出来る施設もないので単に歩いて通り過ぎるしかなく、所要時間は10~15分程度。

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かつては越中国の中心だった歴史ある高岡市伏木地区

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伏木地区はかつて越中国の国府が置かれていました。

国府とは奈良時代から平安時代、各令制国の国司が政務を行う施設が置かれた都市のことです。天平18年(746年)には万葉歌人として有名な大伴家持が越中国司として赴任しました。

現在も高岡市伏木古国府や伏木古府という地名、越中国一宮・気多神社や越中国分寺跡、越中国府跡(勝興寺境内)、国司館跡(現 伏木気象資料館)が残っています。

戦国時代には一向一揆の拠点である勝興寺を中心とする寺内町として発展し、江戸時代以降は小矢部川河口にある立地により舟運・海運が盛んな港町として発展してきました。

勝興寺の前には大伴家持像。

勝興寺の周辺にも小さな寺院がいくつかあります。ほとんどは勝興寺と同じ浄土真宗本願寺派のようです。

国司居宅の国司館(こくしのたち)があった場所には伏木気象資料館。旧伏木測候所庁舎として明治42年(1909年)に建てられました。昭和14年(1939年)に屋根の上の塔屋部分は解体され平屋となり、隣に鉄筋コンクリート3階建の測風塔が建設されました。旧庁舎・測風塔ともに登録有形文化財となっています。

平屋となった庁舎ですが、2017年に塔屋部分が復元されました。

伏木気象資料館からの立山連峰。

見えてきた立派な屋敷は高岡市伏木北前船資料館(旧秋元家住宅)。秋元家は江戸時代から北前船の廻船問屋として繁栄し、主屋は明治20年(1887年)の大火後に再建されたもの。

洒落た意匠の鮮魚店。

こちらも江戸時代から北前船の回船問屋として栄えた棚田家住宅。明治20年の伏木大火後の明治23年(1890年)築で主屋・味噌蔵・道具蔵・衣装蔵の4棟が登録有形文化財。

伏木に限らないのですが、高岡は銅器の町として有名なので、銅張りの住宅を時々目にします。

高岡商工会議所伏木支所は明治43年(1910年)に伏木銀行として建てられました。土蔵付きの瓦葺き木造建築なのですが、洋風の意匠も取り入れられています。こちらも有形登録文化財。

伏木海陸運送株式会社 創立75周年記念館。伏木海陸輸送(伏木海運)の前身の一つである三ッ輪回漕店の事務所として使われていました。昭和初期の建物のようです。

伏木海運の伏木って高岡市伏木地区のことだったのか・・・

こちらが本社のようです。

伏木は小矢部川の河口にある港町です。

ここから小矢部川に架かる伏木万葉大橋を渡って、重要伝統的建造物群保存地区の吉久地区へ向かいます。

右手に見えている橋の下は氷見線から分岐し、旧伏木貨物ヤードへの引き込み線が通っています。

伏木万葉大橋を上がっていきます。

北アルプスの美しい山々が望めるのですが、煙突からの煙が・・・

伏木万葉大橋には広い歩道もあります。

小矢部川の河口。

伏木は観光地としてそこまで有名ではありませんが、長い歴史とそれに伴う史跡・歴史的建造物があり、見所満載の興味深いエリアでした。

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勝興寺 2022年に国宝指定 高岡市伏木古国府

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気多神社の次は勝興寺(しょうこうじ)へ向かいます。

勝興寺は文明3年(1471年)に創建されたる浄土真宗本願寺派の仏教寺院で、天正2年(1584年)現在地に移転しました。戦国時代は越中一向一揆の拠点となり、江戸時代には加賀前田藩と密接な関係にあって壮大な伽藍が築かれました。

境内は周りより一段高い位置にあり、森に囲まれ石垣っぽいものが残っていたのですが、かつては古国府城があった跡地のようです。

1998~2021年にかけて大規模な改修工事を行った後、2022年には本堂と大広間及び式台の2棟が国宝に指定されました。それまで高岡市にある国宝は瑞龍寺の3棟のみでしたが、勝興寺の2棟が新たに加わりました。

総門から入ります。総門は天保11年(1840年)に建立され、国指定重要文化財。城郭の外門でよく見られる高麗門様式です。総門を入った先に受付があり、拝観料は大人500円。

檜皮葺の立派な唐門も国指定重要文化財。明和6年(1769年)に京都・興正寺で建立され、明治26年(1893年)に勝興寺へ移築されました。

受付の近くにあった「勝興寺の七不思議」の立て札。忘れない様に見つけましょう。

唐門を抜けると正面に本堂が見えているのですが、先ずは七不思議の1)実ならずの銀杏。

七不思議の2)天から降った石。

経堂は文化2年(1805年)建立で国指定重要文化財。内部には極彩色を残す八角輪蔵が安置されていますが、一般客は見学不可。

唐門を抜けた時から見えていましたが、圧倒されるほどの堂々たる本堂。寛政7年(1795年)西本願寺阿弥陀堂を模して建立されたもので、2022年国宝に指定されました。

堂内も見学出来ます。

御本尊は阿弥陀如来。

本堂内に七不思議の5)魔除けの柱。本堂の柱は全て欅で作られていますが、この魔除けの柱だけ桜で出来ています。敢えて不完全な形で残すことで魔除けの意味があるそうです。

本堂の四隅に七不思議の4)屋根を支える猿と書かれていますが、天邪鬼(あまのじゃく)と補足されています。

本堂の向かって左手にある七不思議の3)水の涸れない池。

もう一つの国宝である大広間及び式台へ向かいます。

その途中に七不思議の7)三葉の松。

大広間は承応2年(1653年)、式台は18世紀末頃に建てられました。

向かって右が式台、左が大広間となっています。

現在は建物の向かって右半分全体が式台とされていますが、本来式台って玄関先の一段低くなった板敷きの部分ですよね。

式台は外来客の家来の控え所、挨拶の場となっていました。

大広間は128畳。

格別に豪華なつくりの「上段の間」は、天皇の使いの「勅使」が座ったとされています。

台所へ向かう途中に展示されていた「梅鉢紋蒔絵女乗物」。加賀藩第六代藩主・前田吉徳の十男・時次郎(後の加賀前田家11代、加賀藩第10代藩主の前田治脩)が勝興寺に僧侶として入山した際に使われた大名駕籠と伝わっています。

台所は文久3年(1863年)の建立でここも国指定重要文化財。

床の上から使える井戸があります。

次は書院へ向かいます。

平成の大修理で建物の多くは瓦葺から創建当初の姿である柿葺(こけらぶき)へ変変更されましたが、その施工模型。柿葺きは柿の木を使っているというわけではなく、木の薄板を幾重にも重ねて施工する工法です。

洛中洛外屏風図 勝興寺本(複製)。オリジナルは高岡市美術館に寄託されており、国指定重要文化財。

この先にも奥書院、御内仏、御霊屋といった重要文化財があるのですが、見学出来るのはここまででした。

境内には他にも国指定重要文化財があります。

式台の正面にある式台門、宝永2年(1705年)建立。

式台門を表側から。

漆喰となまこ壁の宝蔵は江戸時代末期の建立。

享保18年(1733年)建立の鼓堂。

一部は見学出来ませんでしたが、勝興寺には国宝2棟・重要文化財10棟があり、見ごたえ充分でした。そういえば七不思議のうち6)雲龍の硯を見逃していました。立札によると書院にあったようです。

この後もギチギチのスケジュールを詰め込んでいるので急ぎ足の拝観となりましたが、所要時間は約45分でした。

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越中國一宮 氣多神社 越中国には一之宮が4社もある

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氷見から次は高岡市伏木地区へ向かいます。伏木では越中國一宮 気多神社と勝興寺に行きたいのですが、気多神社は駅から結構遠いんですよね。越中国分駅から徒歩20分、伏木駅からだと25分は掛かりそうです。

しかも予定していた列車に間に合いませんでした。9:30発に乗れるかなと思っていたのですが、氷見駅に戻って来れたのは9:50頃。次は10:22発だから30分以上待つのか・・・

他に行き方はないかグーグルマップでルート検索すると、加越能バスの324番路線(済生会高岡病院行き)がなんと10:09発とばっちり。1日4本しかない路線なのに奇跡的です。しかもバス停から気多神社までは徒歩11分と駅より近い。

バスは氷見駅から徒歩5分程離れた国道415号線沿いの「氷見駅口」というバス停を通っています。氷見駅から怪物くんストリートを西に進み、415号線で右折して北へ少し行った所にバス停があります。反対方面(氷見市民病院行)のバス停は交差点の南側。

「伏木一の宮」バス停で降り、気多神社へ向かっている途中に越中国分寺跡がありましたので寄ってみます。

跡地には高野山真言宗 国分寺の薬師堂なる堂宇が建っていますが、廃寺かと思ってしまうほど老朽化しています。

一応ここが越中国国分寺跡だという石碑は建っていますが・・・

気多神社へはずっと坂道が続きます。

登るのがしんどいから?社務所も坂の途中にあります。

社務所を過ぎると、とやまの名水「気多神社の清泉」、その隣に手水舎がありました。

気多神社(けたじんじゃ)は、養老2年(718年)に行基が創建したと伝えられています。また天平年間(757~764年)に越中国一ノ宮として能登国一ノ宮の気多大社(羽咋市)から勧請したとも言われています。そういえば2日前に行った飛騨古川の気多若宮神社も能登国の気多大社から勧請されたと書いてあったなあ。

神馬像。

最後のダメ押しの石段。この時は12月なのでいいですが、夏場は暑くてしんどそう。

拝殿です。気多神社の主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと=大国主神)とその妻である奴奈加波比売命(ぬなかわひめのみこと、沼河比売とも)。

拝殿の後方にある本殿。現在の本殿は永禄年間(1558~1570年)に再建されたもので、国指定重要文化財となっています。

本殿には「一宮」と書かれた扁額があり、なんと弘法大師・空海の真筆とされています。

越中国司として現在の高岡に赴任し、歌人としても有名な大伴家持を祀った大伴神社。高岡は大伴家持や万葉集推しで、両者に関するものがたくさんあります。

越中総社跡伝承地。

気多神社脇の道路からは北アルプス・立山連峰の絶景が見えるというのも、ここに来た理由なのですが・・・

クマやイノシシ出没注意の看板。

ああっ~、雲で隠れて全然見えないなあ。

残念と思っていたら、雲が少しずつ下がってきて、頂上だけ顔を出しました。

向かって左端が剣岳かなあ?

その地域で最も格式の高い神社とされる〇〇国一之宮が複数存在するケースは結構ありますが、越中国はなんと気多神社の他、射水神社(高岡市)、髙瀬神社(南砺市)、雄山神社(立山町)の四社が一宮を名乗っています。

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氷見市は漫画家・藤子不二雄A先生のふるさと

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氷見市は漫画家・藤子不二雄A(我孫子素雄)先生の故郷であり、街中にはまんがキャラクターのモニュメント設置をはじめ、同先生を前面に押し出したまちづくり・観光プロモーションを行っています。

魚市場食堂からこれらを見がてら氷見駅へ戻ろうと思います。

氷見漁港前の交差点からスタート。ここには「忍者ハットリくん巨大壁画」があります。

同じビルの側面には巨大なブリのウォールアートが。

すぐそばの氷見市漁業文化交流センター前の広場には、グーグルマップで見つけて気になった「ブリ小僧」の像。藤子不二雄A先生とは関係ありませんけど。

それでは氷見漁港前交差点から西に歩いてきます。忍者ハットリくんロードという名前が付いているようです。

先ずは・・・ブリかよ!

忍者ハットリくん。

獅子丸。

ハットリシンゾウ。

中央町交差点を北へ少し行った所に喪黒福造。

中央町交差点には「プロゴルファー猿ポケットパーク」があります。

忍者ハットリくんたちの銅像もひっそりありました。

中央町交差点から比美町商店街を南へ歩いて行きます。

ハットリくんのポスト。

氷見市潮風ギャラリー内に「藤子不二雄Aアートコレクション」があります。入館料は200円。開館時間前でしたので入れませんでした。

魚介類のキャラクターが出てきたんですけど、こんな漫画ありましたっけ?ネットで調べてみると、これらは「氷見のサカナ紳士録」といって、氷見漁港で水揚げされる魚介類を基に藤子不二雄A先生にデザインを依頼して作成したキャラクターのようです。全部で8種類16体が設置されています。

忍者ハットリくんと仲間たちが登場。

ケムマキ。

ハットリくん。

影千代。

シンゾウ。

商店街から1本裏の通りにある光禅寺は藤子不二雄A先生の生家です。

境内には忍者ハットリくん、怪物くん、プロゴルファー猿、笑ゥせぇるすまんの石像があります。

また商店街に戻り、更に南へ歩いて行くと湊川が出てきました。向こうに見えるのが「忍者ハットリくんカラクリ時計」。

忍者ハットリくんと仲間たち7体のキャラクターが、朝9時から19時(夏季は21時)まで毎正時(土日祝は30分毎)に約4分間の愉快なショーをくり広げてくれるらしい。12~3月の冬季は休止されるのですが、タイミング悪くこの2日前の12月11日から休止期間に入ったようです(休止期間は年により多少変わります)。

喪黒福造のスマイルベンチ。

ビリ犬。

これは何というキャラクターだろうかと調べたら、ウルトラBでした。

黒ベエのシャドウ・サプライズ。

パラソルへんべえ。

伊勢大町の交差点を左折すると氷見駅へ続いているのですが、ここからは「怪物くんストリート」になります。

先ずはフランケン。

オオカミ男。

ドラキュラ。

怪物くん。

氷見駅に到着。

一方の藤子・F・不二雄(藤本弘)先生はお隣の高岡市出身。高岡駅前の複合施設「ウイングウイング高岡」の敷地に「ドラえもんの散歩道」なるものがあります。

ドラえもん、のび太くん、ドラミちゃん、しずかちゃん、ジャイアン、スネ夫という主要キャラクターの銅像が並んでいます。高岡は銅器鋳造で有名ですからね。

氷見の忍者ハットリくんロード~怪物くんストリートにある全てのモニュメントを撮影したのですが(全部はここに掲載していませんが)、道路の左右にあるので、行ったり来たりで結構時間が掛かりました。私と同じように1体1体撮影している同士?が他に一人いらっしゃいました。

私は氷見が藤子不二雄A先生の故郷というのは今回初めて知ったのですが、他にこうした漫画・漫画家を前面に押し出してまちづくり・観光促進をしているのは、「水木しげるロード」の境港がありますね。氷見より境港の方が有名のような・・・

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魚市場食堂で氷見ブリ丼の朝食 氷見漁港

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高岡にやって来たのですが、12月なので氷見の寒ブリが旬じゃない?ホテルは素泊まりにしているので、出来れば朝食で食べたいなあとネットで探していると、早朝から営業しているばっちりな食堂を見つけたのです。

高岡駅から氷見線のキハ47系気動車に乗って行きます。朝7:40発の列車だったので、通学の高校生でかなり混雑していました。朝夕だけ高校生で混雑するのはローカル線あるあるです。県立伏木高校の生徒でしょうか、越中国分駅で大量に降りて行きました。

30分で氷見駅に到着。駅前には「越中式定置網発祥のまち氷見」の石碑があります。

氷見駅から歩いて、そろそろ目的の食堂も近づいてきたところで看板が出ています。私が行くのは魚市場食堂なのですが、更に先に岸壁市場・岸壁食堂なるものもあるんですね。魚市場食堂は朝6:30から営業しているのですが、岸壁食堂は朝9時から。

氷見駅から歩くこと20分弱、目指す魚市場食堂が見えてきました。氷見漁港の地方卸売市場 氷見魚市場に併設されています。駅から同じ食堂を目指していると思われる同士も何人かいました。

2階に上がります。

1階は魚市場になっています。セリは朝6時から始まるようなので、もう終わっているのでしょう。

週末など時間帯によってはかなり行列で待つこともあるようですが、この日は平日なので特に問題なく座れました。でもそこそこにお客さんは入っています。

メニューを見ると、魚市場名物「氷見浜丼定食(海鮮丼)」にも惹かれますが、他の漬け丼やお刺身定食を含めて「ブリは入りません」と書かれています。名物のブリは安売りしませんよという感じ。

で、こちらが氷見ブリのメニュー。高級ブランドなので、なかなかいいお値段しますけど・・・氷見に来たからにはやっぱりブリですよね。

注文は卓上のタブレットにて。水やお茶はセルフサービスです。

人気店らしく芸能人などのサインがいくつか飾られています。

一番手前に貼られていたのが、鳥羽周作シェフのサインでした。

全ての定食に付いてくる「土鍋漁師汁」。卓上にカセットコンロがあるので、熱々で食べられます。

ここでは配膳ロボットが持ってきてくれます。

注文したのは氷見ブリ丼定食。厚切りのブリの切り身がこれでもかと乗っていてインパクト大です。

身がツヤツヤ輝いているように見えますわ。白っぽいのはブリしゃぶしたものでしょう。それと血合いの部分が全くないですね。血合いは漁師汁とかに使っているのかな。

でもなんか身が赤い(ピンク色)と思いません?

日頃食べている養殖のブリは脂たっぷりで身が白っぽいのですが、天然はそこまで脂が乗っていないので赤っぽいです。正直、同じブリでも天然と養殖はかなり違って、別の魚?という感想です。

漁師汁も具だくさんでおいしかったです。

3,000円とはなかなかのお値段と最初は思いましたが、期待以上のブリのボリュームとクオリティに大満足の朝食でした。ただご飯の量は少な目なので、個人的にはもう少し欲しいところ。+150円で大盛りに出来るようでしたけど。

尚、お支払いは現金、クレジットカードの他、QRコード決済はPayPayのみ利用可でした。

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