国宝 犬山城天守は雨で廻縁に出られず 見学所要時間

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有楽苑から次は犬山城へ向かいます。

犬山城へは、大手道コース、針綱神社コース、三光稲荷コースの3つのルートがあるようですが、一番の王道っぽい城前広場から大手道コースで登城しようと思います。

三光稲荷神社の脇を登って行きます。この辺りは松の丸です。犬山城の二の丸は、大手道の東側に松の丸、桐の丸、杉の丸、西側に樅の丸と4つの郭(曲輪)に分かれています。

前方の石垣の上に見えるのは、桐の丸にある針綱神社社務所。かつては道具櫓がありました。

その先の大手道がクランク状に曲がった所にかつては黒門がありましたが、明治期の廃城後、大口町の徳林寺に移築され、現在は礎石のみ残っています。

本丸の手前にチケット売り場があります。

入場料は大人550円ですが、令和8年3月1日から1,000円に値上げ予定です。また少しお得な有楽苑、明治村、リトルワールド、日本モンキーセンターなどとの各セット券も販売されています。

本丸への入口となる鉄門(くろがねもん)。昭和40年(1965年)に再建された模擬門です。

犬山城は天文6年(1537年)織田信康により築城されました。現存する望楼型三重四階地下二階の天守の創建時期については諸説ありますが、江戸時代以前の天守が残る現存12天守、国宝5城の一つでもあります。

文化庁のデータでは、天守の創建時期は1601年となっていますが、もう少し古い天正年間の1585~90年頃という説も出てきて、松本城天守と日本最古を争っているようです。

犬山城の特徴の一つ、ベランダのような廻縁。

天守の入口は地下2階になります。

すぐに地下1階へ上がります。

天守を支える石垣。

1階の武者走りには色々展示物があります。

姉川の戦い、長久手の戦い、簗瀬の戦い、関ヶ原の戦いの経過を描いた屏風「四戦場の図」。オリジナルは江戸後期の作品で前田土佐守家資料館(金沢)にあり、犬山城に展示されているのは滝秋方画伯(1902〜1979)によるレプリカ。

小牧山合戦(小牧・長久手の戦い)で着用された鎧。

石落としの間。

廃藩置県・廃城令で取り壊された櫓の鯱。

犬山城に伝わる最も古い瓦の一つである鬼瓦。江戸時代初期のものと考えられています。

1階中央部は第一の間、第二の間、上段の間、納戸の間の4室に分かれていますが、こちらは上段の間。

上段の間の奥に扉があって、その奥には納戸の間(武者かくしの間とも)があります。

天守の模型。

1階から2階への階段。

1/10サイズの解体骨組模型。犬山城天守は昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で被害を受けたため、昭和36~40年(1961~1965年)にかけて大規模な解体修理工事が行われました。

3階へ上がります。お城なので急階段ではありますが、現存12天守の中では犬山城は姫路城と並んで傾斜は緩い方だと感じました。一番傾斜角がきついのは丸岡城とされています。

天守3階部分は南北に唐破風、東西に入母屋破風があります。築城時ではなく、元和4年(1618年)から貞享2年(1685年)の間に装飾として増築されたもの。

唐破風の間。

最上階4階の高欄の間へ登って来ました。

国宝指定書。

犬山城天守の特徴でもあるベランダのような廻縁(まわりえん)ですが、雨のため、外に出ることが出来ませんでした。一歩だけOKとのことなので、そこで画像撮影します。

歩いて回るとなったら、高欄(手すり)が低くて怖そう・・・

反対側からは木曽川の眺望。

少し上流の方を見ると犬山橋が見えます。奥のトラス構造の鉄道橋は、大正14年(1925年)竣工。

見学の所要時間は約30分でした。そういえばお城に付きものの堀が見当たらなかったなあと思ったら、明治6年(1873年)の廃城後に埋め立てられたんですね。木曽川が堀の役目の一部を果たしているとも言えますが。

前日に行った同じ現存12天守且つ国宝である松本城に比べると、犬山城は外国人観光客(特に欧米人)があまり目立たない印象を受けました。

これで現存12天守のうち9城を登城済、コンプリートまで残りは高知城、松山城、宇和島城の3城となりました。

犬山城周辺の地図とホテル

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