垂井宿 旧中山道宿場町の面影が残る

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南宮大社参拝でせっかく垂井まで来たのですから、ついでに旧中山道の宿場町である垂井宿も散策してみましょう。

今回の旅では下諏訪宿奈良井宿中津川宿に続き、旧中山道宿場町の4ヶ所目となります。

前日行った奈良井宿のように、大規模に古い町並みが残っていて重要伝統的建造物群保存地区に選定されているわけではないのですが、多少は昔の宿場町の面影が残っているようですから。

散策のスタートは、相川沿いの「東の見付」から。

しばらく歩いても歴史のありそうな古い建物は見当たりません。

これといったものがないので、旧中山道から少し入った所にある、「紙屋塚」に寄ってみます。奈良時代に美濃国の官設抄紙場があり、美濃紙の発祥地といわれ、紙屋の守護神「紙屋明神」が祀られています。

また中山道に戻りまして、通りがクランク状に曲がった「東の桝形」の正面に見えてきたのが、旅籠亀丸屋跡。

安永6年(1777年)に建てられた旅籠屋です。

下記画像の向かって右手の家屋が旧問屋場・金岩家です。問屋(といや)とは宿場町で人足・馬などの手配・輸送を行う役職です。

松井家がかつて旅籠を営んでいた旧丹波屋。現在の建物は料理屋として大正元年(1912年)に建てられたもの。

正面の唐破風の瓦には、「松華」と共に「water」の文字が確認出来ます。漢字で「水」と書かれたものはよく見ますが、同様に火事除け・火伏せの意味があるのでしょう。

児玉家。

こちらは垂井町登録有形文化財の磯野家住宅。残念ながら工事中でシートに覆われていました。垂井町の観光マップによると、2階に能舞台があるそう。

四差路の角地に建っている磯野家住宅ですが、脇の道路に目をやると、ずっと先まで蔵などの建物が続いています。

国指定重要文化財の南宮大社石鳥居。ここから南宮大社までは徒歩15~20分掛かります。

垂井町の観光マップには「旧子の日(森家)、明治時代には貴族院議員の古井家が住まわれ、その後昭和期まで料理屋さんでした」と書かれていました。大衆食堂の文字も見えるので、「子の日」という大衆食堂だったのでしょうか。天ぷら屋「井つつ」の看板もありますが、既に閉業されているようです。

屋根に煙出しがあります。

築200年以上と言われる旧旅籠長浜屋。

明治期に鉄道が開通した為に旅籠屋を止め、酒屋として営業していました。現在は休憩所として土日祝日のみ開放されているようです。

国登録有形文化財の小林家住宅主屋。建設年代は不明ですが、幕末頃に建てられたとみられています。元は宇吉家が油屋を営んでいましたが、明治14年(1881年)に小林家が買い取り、昭和初期まで「亀屋」の屋号で旅籠を営んでいました。

浄土真宗・本龍寺は明治11年(1878年)に明治天皇がご休憩をとられたということで、「明治天皇垂井御小休所」の石碑が建っていました。山門はかつての脇本陣から移築されたもの。

この本龍寺前に江戸幕府や領主が掟・法令を書き記した木の札(高札)を掲示した高札場があったようです。

芥川賞作家・古井由吉の遠縁の古井家?

西の見付に到着。垂井宿は東西約766メートルにわたっていますが、画像撮影しながらぶらぶら歩いて20分ちょっとの所要時間でした。

愛宕神社があります。火の神様・軻遇突智命(かぐつちのみこと)が祀られており、火事除け・火伏せのご神徳があります。

この西の見付から西を見た所が安藤広重の版画になっているそうですが、小さな川に橋が架かっているだけで、とても版画のモチーフになるような風光明媚な場所ではありません。

旧垂井宿は思っていたより古い建物が残っていたかなという感想です。

ただ平日で雨が降っているせいかもしれませんが、観光客らしき人は全く見当たりませんでしたし、観光客目当てと思われるレストラン・カフェ・土産物店なども皆無でした。

垂井宿周辺の地図とホテル

大垣・岐阜羽島 洗濯機・コインランドリーがあるホテル・旅館

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