奈良井宿は本当に日本一長い宿場町?塩尻市奈良井重要伝統的建造物群保存地区

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奈良井宿は旧中山道の宿場町であると共に檜物細工や塗物、塗櫛などの木工業も盛んで、かつては奈良井千軒と呼ばれるほど繁栄していました。旧中山道沿いには江戸時代以降の町割り・町屋が約1kmに渡って続き、重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

奈良井宿は北(江戸に近い方)から下町・中町(仲町)・上町に分かれています。JR奈良井駅は北側にあるので、下町から歩いて行きます。

お隣の木曽平沢は観光客が皆無に近かったのですが、奈良井はさすがに有名観光地ですので、平日にもかかわらずかなりの人出です(画像ではなるべく写らないように撮影していますので、それほど多く見えないと思いますが)。特に外国人が目立ちます。

奈良井の町屋の特徴は、二階を少しせり出した出梁(だしばり)造りです。

下町水場。宿場町内にはこうした水場が6ヶ所設けられています。山の湧き水なので、そういえば全て通りの山側にありました。

旅館あぶらや。元々は油屋で、旅館を始めたのは昭和45年(1970年)らしい。

建設時期により屋根・軒の高さが異なります。基本的には古いものほど屋根・軒が低い。

築200年の元炭問屋の建物を戦後に旅館とした民宿しまだ。

下城水場。

こちらのお宅の2階窓の上には、守り神?商売繁盛・金運アップ?蛇(の置物)が祀られていました。

かつての旅籠 若狭屋。歴史がありそうな立派な建物なのですが、現在は利用されておらず、空き家っぽかったです。

杉玉が吊るされているということは、こちらは造り酒屋ですね。寛政5年(1793年)創業の杉の森酒造。2012年に一度休眠し、2021年にsuginomori breweryとして再生しました。

中村屋という煙草店兼よろず屋。

日除けや雨除け用の鎧庇とそれを支える猿頭。

横水水場。ここから南は中町(仲町)となります。

江戸時代には脇本陣「旅籠 徳利屋」を営んでいた原家住宅。天保8年(1837年)の大火後、天保8~15年(1837~1844年)に建てられ、塩尻市指定有形文化財。現在は蕎麦屋です。

池の沢水場。

旧中山道から少し脇道を入った所に本陣跡。江戸時代に身分の高い大名、幕府役人、勅使らが利用する、その宿場町で最も格式が高い宿泊施設が本陣、その次が脇本陣となります。

創業は寛政年間(1789~1801年)で220~230年の歴史がある「ゑちごや旅館」。

文政元年(1818年)創業の御宿 伊勢屋。

天保11年(1840年)に建てられた手塚家住宅は国指定重要文化財。現在は上問屋史料館として利用されています。手塚家は宿場間の人や物の輸送に使う人足・馬や飛脚などを差配する問屋(といや)及び庄屋を務めていました。

1880年(明治13年)に明治天皇が御巡幸された際、手塚家で休憩と昼食を取られたので、明治天皇奈良井行在所と明治天皇御駐輦所の石碑が建っていました。

しばらく進むと真っすぐではなく少しずれて道が付けられ、クランク状・枡形のように曲がった「鍵の手」がありました。防衛と防火目的にこのような形になっています。

鍵の手にある鍵の手水場。

鍵の手を過ぎると、奈良井宿でも一番南(京都に近い方)の上町に入ります。

1843年(天保14年)頃に建てられた旧中村家住宅(中村邸)はかつての櫛問屋。くぐり戸や蔀(しとみ)など奈良井の典型的な町家建築様式が窺え、国指定重要文化財です。

突然出現する洋館は旧芦沢医院。奈良井宿の中では異彩を放っています。

奈良井宿高札場跡。高札場とは幕府や領主が掟・法令を書き記した木の札(高札)を掲示した場所です。

宮の沢水場。

奈良井宿の南西の端にある鎮神社。

ほとんどの建物がこげ茶色で、町並みにはかなり統一感があります。木曽という木材資源が豊富な地域のせいか、町家には木が贅沢に使われ、漆喰の白壁はほとんど見ません。漆喰は袖壁(袖うだつ)に使われるくらい。それと漆喰塗りとも関係しますが、虫籠窓もないですね。虫籠窓なんて、奈良井の冬の寒さには耐えられないか。

ところで奈良井宿は南北約1km続く日本最長の宿場町と書かれているのをよく目にするのですが、三重県亀山市にある旧東海道の関宿は約1.8kmあるんだけどなあ・・・

奈良井宿周辺の地図とホテル

塩尻 洗濯機・コインランドリーがあるホテル・旅館

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