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松本城の次は旧開智学校校舎へ向かいます。
旧開智学校校舎は松本城の北側にありますが、松本城の有料エリア(本丸・天守)から北東側の北裏門や北西側の埋門は通り抜け出来ないので、一旦南側の黒門・高麗門まで戻って来て、内堀沿いをぐるっと回って行く必要があります。黒門からは徒歩15分程度。
旧開智学校の入場料は大人600円(電子チケット)もしくは700円(紙のチケット)。私はkkdayで松本城との共通券1,600円(電子チケット)を購入していました。松本城の入場料は電子チケットで大人1,200円(紙のチケットは1,300円)なので、セットの共通券だと200円お得になります。
旧開智学校校舎は明治9年(1876年)に建設された擬洋風建築で、令和元年(2019年)に国宝に指定されました。擬洋風建築とは江戸末期から明治中期にかけての文明開化の時代に、従来の木造日本建築に見よう見まねで西洋建築の意匠を取り入れた和洋折衷の建物で、主に役所・銀行・学校・病院などで見られます。各地の有力な大工棟梁が携わっており、旧開智学校校舎は地元出身の立石清重が設計・施工しました。
尚、旧開智学校は女鳥羽川沿いの全久院跡地にあって、この校舎もそこで建てられたものですが、昭和38~39年(1963~1864年)にかけて現在地へ移築されました。松本城の南側、松本市中央1丁目にある長野県理容会館(スカイビル)そばには旧開智学校跡の石碑が建っています。
中央にそびえ立つ八角塔。ステンドグラス(ギヤマン)の入った窓もありますが、日本でガラスが普及し始めたのもこの時代です。
開智学校の文字の脇にはエンジェル(天使)、下の方には龍の彫刻と、洋風と和風の折衷です。
建物の角は石積みのように見えますが、漆喰に灰色を付けて石のように仕上げたもの。
校舎内に入りますと、廊下の左右にかつての教場(教室)が並んでおり、それぞれが展示室になっています。
先ずは元教員室の特別展示室。
一見西洋風の建物ですが、日本の伝統的な漆喰壁です。貫穴がたくさん開いている梁は、他の建物からの転用です。明治期の廃仏毀釈で廃寺になった寺院の廃材も多かったようです。
床材に使われていた和釘。
外観の特徴的な天使と龍はどこから来たか?
天使は当時の代表的な新聞だった「東京日々新聞」のタイトルデザインからの引用と見られています。
また龍の彫刻は、旧開智学校の隣接していて廃寺となった浄林寺から持って来たものとされています。
当時の教科書も残されています。
2階にも上がってみましょう。
明治13年(1880年)に明治天皇が行幸で見学された際に休憩室として使われた部屋が「御座所」として残されています。
八角塔屋への登り口(閉鎖中)。
かつての講堂兼試験所。
世界的にも珍しい「ハルモニウムオルガン」らしいです。製造年代は不明ですが、1900年頃かと書かれていました。
旧開智学校校舎の見学所要時間は35分でした。
松本市にある国宝は松本城天守と旧開智学校校舎の2件ですが、松本城に比べるとかなり空いていました。特に外国人観光客はほとんどいなかったかな。
その分ゆったり見学出来たし、西洋文明が入って来た当時の人々の想いはどんなものだったのかと思いを馳せるなど歴史を感じることが出来て、とても良かったです。
帰ろうとしたら大型観光バスがやって来たのですが、入場せずに外観だけ画像撮影して帰って行きました。こういうのって某国人っぽいなあと思っていたのですが、日本人の団体ツアーでした。



















