伊藤忠商事・丸紅の創業者 伊藤忠兵衛記念館 近江商人の故郷・豊郷町

<本ページにはプロモーションが含まれています>

近江商人は大坂商人、伊勢商人と共に日本三大商人と呼ばれます。

その近江商人を輩出した地域はいくつかに分かれていまして、出身地により八幡商人、高島商人、日野商人、湖東商人と細分化されています。湖東商人とは、東近江市(旧五個荘町、湖東町)、愛荘町(旧愛知川町)、豊郷町出身の商人を差します。

豊郷町には近江商人に関する施設がいくつかあるので見学したいと思います。

先人を偲ぶ館は同町四十九院出身の豪商・薩摩治兵衛を中心に、豊郷町出身の8人の商人の生い立ちや業績を展示しています。入場無料ですが、火・木・土のみの営業。内部は撮影禁止でした。

薩摩治兵衛は幕末から木綿問屋「薩摩屋」で大成功し、木綿王とも呼ばれましたが、1929年の世界恐慌を経て、薩摩屋は昭和10年(1935年)に閉店しました。

先人を偲ぶ館の建物はフランス・パリ国際大学都市にある日本館をモチーフにしています。このパリ日本館は薩摩治郎八(実際は父親の2代目薩摩治兵衛)の寄付により建設されました。

大富豪の家に生まれた薩摩治郎八はフランスで派手に浪費し、「バロン薩摩」と呼ばれました。バロン薩摩は聞いたことがある・・・

斜め前にあるのが薩摩治兵衛記念館。旧豊郷尋常高等小学校本館で、先ほどの豊郷小学校旧校舎群は2代目校舎ですが、こちらは明治20年(1887年)に建てられた初代校舎。当時の役場や学校などで流行した擬洋風建築で、国の登録有形文化財。初代薩摩治兵衛が建設資金を寄付したことから、現在は薩摩治兵衛記念館となっています。残念ながら土曜日のみの開館でした。

薩摩治兵衛と共に豊郷町出身の豪商で有名なのが、伊藤忠商事・丸紅の創始者である伊藤忠兵衛です。初代伊藤忠兵衛が暮らし、2代目忠兵衛が生まれた屋敷が伊藤忠兵衛記念館として公開されています。入場料は無料です。

丸紅、伊藤忠商事と共に呉羽紡績の名前もありますね。調べると、呉羽紡績の設立発起人の一人が伊藤忠兵衛のようです。呉羽紡績は一部の事業を呉羽化学工業(現在のクレハ)として分離し、呉羽紡績自体は後に東洋紡と合併しました。

奥の離れや土蔵の一部は、当時の生活用品などの展示室となっています。

伊藤忠合名会社店法や定款など会社関連の資料も展示されていました。

近くには丸紅関係者からなる酬徳会が造った「くれない園」という公園があり、伊藤忠兵衛翁碑が設置されています。くれない=丸紅の紅でしょうか。

また伊藤兵衛ではなく、伊藤兵衛屋敷跡も近くにありました。伊藤長兵衛は代々伊藤家の本家が受け継いできた名前。六代目伊藤長兵衛が初代伊藤忠兵衛(伊藤忠商事・丸紅の創始者)の兄に当たります。

六代目伊藤長兵衛が開店した伊藤長兵衛商店は、後に伊藤忠商店と合併し、丸紅商店となります。

それではまた近江鉄道に乗って、同じく近江商人(湖東商人)発祥の地である東近江市五個荘へ向かいます。

伊藤忠兵衛記念館周辺の地図とホテル

彦根 洗濯機・コインランドリーがあるホテル・旅館

彦根・長浜 4ベッド・4人部屋があるホテル・旅館

彦根・近江八幡・東近江 大浴場付きのビジネスホテル・旅館

カテゴリー: 博物館・庭園・美術館・アート 香港, 日本, 街歩き 日本 タグ: , , パーマリンク