八幡山から下りてきて、次は近江八幡市八幡重要伝統的建造物群保存地区を散策します。
近江八幡は天正13年(1585年)豊臣秀次により築城された八幡山城の城下町として繁栄しました。その中で近江商人の居宅・土蔵などが多く残る、新町通り・永原町通り・八幡堀沿いと日牟禮八幡宮周辺が重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
日牟禮八幡宮を出てすぐ、八幡堀に差し掛かりました。ザ・近江八幡という風景です。
お堀沿いを歩けるようなので、下に降りて東の方へ歩いてみます。
八幡堀めぐりの屋形船。
あの橋を渡った先に「かわらミュージアム」があるので行ってみましょう。
この橋「浮舟橋」というようで、確かに船の上に乗っているようです。
でもぐらぐら揺れることはなく、ちゃんと船は固定されているのでしょう。
浮舟橋を戻ってくる人が「今日はお休みでした」と教えてくれたので、閉まっているのは分かっていたのですが「かわらミュージアム」。江戸時代から300年以上も続く「八幡瓦」の技術や伝統を後世に伝えるため、瓦工場跡に建設された瓦の博物館です。
地上に戻り、旧ヴォーリス住宅などを経由して、永原町通りにやって来ました。
ボーダレス・アートミュージアムNO-MA。「角大」近江屋久右衛門こと野間清六の分家で昭和5年(1930年)に建てられた町屋を利用したミュージアム。
向いが野間家の本家らしい。黒漆喰の厨子二階にベンガラで塗られた格子・・・古くて立派な町家です。
永原町通りを歩いて行きます。
近江八幡を代表する醤油醸造元、「扇吉」平居醤油 。
旧扇吉もろみ倉。
八幡堀の南側のバス通りに出てきました。
明治10年(1877年)に八幡東学校として建設された擬洋風建築の白雲閣。建設資金の大半は近江商人らの寄付によって賄われました。
延々と続く広大なお屋敷は西川甚五郎邸。ふとんの西川の発祥地です。西川は永禄9年(1566年)創業の450年以上続く老舗企業ですが、布団の取り扱いを始めたのは明治20年(1887年)です。西川甚五郎家は、森五郎兵衛家・伴伝兵衛家と共に八幡御三家とされています。
裏の八幡堀沿いには白壁の土蔵が並んでいます。
続いて新町通りにやって来ました。
旧西川家住宅(旧西川利右衛門住宅)主屋は宝永3年(1706年)に建てられ、このエリア唯一の国指定重要文化財です。残念ながらこの日は月曜で定休日でした。
卯建(うだつ)が上がっています。
向いにあるのは、分家の西川庄六邸。伴伝兵衛家ではなく、西川庄六家を八幡御三家とすることもあるようです。
森五郎兵衛邸、八幡御三家の一つ。初代森五郎兵衛は伴伝兵衛家で奉公人として勤め、後に独立し呉服を扱っていました。歩いていた観光客グループから「森ビル・・・」と聞こえてきたので、もしかして森ビルも近江商人が発祥なのかと思いきや、違うようです。森五郎兵衛家は、東京・日本橋室町にある近三ビルヂング(旧森五ビル)を所有する近三商事の祖でした。
向いにある歴史民俗資料館は森家の控宅でした。
旧伴家住宅。今の今まで八幡御三家の伴伝兵衛邸だと思っていたのですが、分家(初代の4男)の伴庄右衛門家住宅でした。文政10年(1827年)~天保11年(1840年)にかけて建設され、明治時代には小学校、戦後には図書館としても使用されました。
永原町通りでは観光客を見ませんでしたが、新町通りは有力豪商のお屋敷が並ぶせいか、観光客がちらほらいました。
大坂商人・伊勢商人と主に日本三大商人と言われる近江商人ですが、輩出した地域により高島商人、八幡商人、日野商人、湖東商人などと呼ばれます。