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赤穂市坂越は瀬戸内海(播磨灘)に面し、江戸時代には西廻り航路の北前船の寄港地として栄えた港町です。現在は1970年代から始まった牡蠣の養殖が有名。
元々穏やかな瀬戸内海ですが、坂越湾の中に自然の防波堤とも言える生島(向かって左手)があって、潮待ち・風待ちには絶好の地形です。
坂越漁港。
さきほどの兵庫県立赤穂海浜公園もそうでしたが、冬なので鴨が多いですね。
「とうろん台」は坂越浦を航行する船舶に、海洋気象を知らせる施設でした。この櫓は当時のものを縮小して復元したものです。
坂越港から千種川へ続く坂越のメインストリート「大道」との角にある旧坂越浦会所は、行政や商業などの事務をとるための村会所として天保2~3年(1831~1832年)に建築されました。
20年ほど前に埋め立てて道路・公園・遊歩道が整備され、現在は海から数十メートル離れていますが、以前は目の前が海岸線だったようです。
入場無料で見学出来るようなので入ってみましょう。中に入ると、世話好き・話好きそうなおばちゃんが色々説明してくれます。
立派な梁が印象的です。天井は少し低いですが、江戸時代の商家の町家なら厨子二階となるはずで、そうではないのはやはり会所という役所だったからでしょうか。
一段低くなった「落之間」は赤穂藩主が休憩や宿泊に利用したとされる部屋。
ざっと見学するだけなら所要時間は10分程度だと思いますが、おばちゃんと話をしていたので20分以上経っていました。
旧坂越浦会所から坂越駅まで20分程度掛かるのですが、大道沿いの町並みを眺めながら歩いて行きましょう。瀬戸内海地方ではよくあるのですが、防腐・防虫効果が高く、塩害に強い焼杉板張りの住宅が目立ちます。
坂越村の大庄屋を務め、酒造業や主に赤穂の塩を運ぶ廻船問屋を営んでいた奥藤本家住宅。明治時代に塩が政府の専売制になったことで、廻船業を廃業し、奥藤銀行を設立しました。
全部奥藤本家の建物。さすが坂越一の名家・金持ちです。
創業慶長6年(1601年)と400年以上の歴史を持つ奥藤酒造(奥藤商事)。代表銘柄は「忠臣蔵」と「乙女」。
奥藤酒造の蔵がずっと続いています。
敷地内には奥藤酒造郷土館(入場無料)もあります。
奥藤本家住宅の対面にあるお宅も歴史がありそうです。周辺には奥藤家の分家がいくつかあるようなので、こちらもそうかもしれません。
妙道寺。
坂越まち並み館は大正時代の奥藤銀行坂越支店を改修した資料館・観光案内所。
昭和初期の古民家を利用したお菓子屋さん「坂利太」。
こちらは旧坂越銀行の建物?
昭和初期の町家を改装した雑貨店 紡木(つむぎ)。この辺りには洒落たカフェや雑貨店が何軒か営業しています。
カフェ「しあわせなより道」。
家具・骨董品店「古木つね」とカフェ暖木(のんき)。古木つねは「ふるきつね」と読むます。雑貨店 紡木(つむぎ)からの4店舗は全部同じオーナーさんの姉妹店みたいですね。
厨子二階でこちらも古そうな町家。
坂越はのんびり・ゆったりした空気が流れるレトロな町でした。時間の関係で見学出来なかったところもあるし、近場なのでまた来てみたいと思います。
最近は東京・京都・大阪だけではなく、ちょっとした地方都市でもインバウンド客によるオーバーツーリズムが問題になっていますが・・・今回坂越を含めて赤穂を回って感じたのは、「外国人観光客がほとんどいない」でした。旧坂越浦会所のおばちゃんも外国人はほとんど来ないと言っていました。































