本日から2月に日帰りで行った赤穂の旅行記となります。
赤穂と言えば忠臣蔵ですよね。JR播州赤穂駅にも四十七士のパネルが飾ってありました。
駅前ロータリーには大石内蔵助の銅像と忠臣蔵・赤穂浪士推しがすごいです。
先ずは赤穂城内の大石神社へ向かいます。
大石邸長屋門は大石内蔵助一家三代が住んでいた屋敷の正門。赤穂城内に残っている江戸時代当時の建物はほとんどなく、この大石邸長屋門と斜め前にある近藤源八宅跡長屋門程度です。
大石神社の東側からの参道。
こちらは南側からの表参道?です。
参道脇には赤穂義士・四十七士の石像がずらっと並んでいます。
石像の最後を飾るのは大石内蔵助(大石良雄)像と・・・
内蔵助の息子の大石主税像。
神門。
拝殿にてお参り。主祭神は赤穂義士・四十七士と討ち入り前に忠考のはざまで自害した萱野重実(三平)、戦後には赤穂藩主浅野家三代と森家七代も合祀されました。
大石良雄・主税親子の像。
ちょっと変わった狛犬。
本殿の周囲には赤穂事件のストーリーを描いた絵馬が飾られています。
長屋のようなお社は境内社合祀殿。国助稲荷社、淡嶋社、恵美寿宮、天満宮、山鹿社、八田社、忠魂社が祀られています。
山鹿社とは山鹿流兵学の祖で赤穂城の築城でも助言したとされる山鹿素行を祀り、八田社は赤穂塩田の大地主・八田四郎右衛門が宮島から厳島神社を勧請したもので、塩田の守護神とされています。
義士宝物殿とその隣に別館。
義士木像奉安殿。
義士宝物殿、義士宝物殿別館、義士木像奉安殿、大石邸長屋門・庭園をあわせた義士史料館の入場料は大人500円。今回は時間がないので見学しませんでした。
大石内蔵助良雄銅像。
義士発祥之地の碑。題字は田中角栄元総理らしい。
癒しの音色「心響石」。讃岐岩質安山岩(サヌカナイト)で出来ており、横に置いてある木琴のバチみたいなので叩くと、美しい音色が響き、心が癒されるというもの。大石神社とどういう関係があるのかは不明。
人形浄瑠璃や歌舞伎の演目「忠臣蔵」のモチーフとなった、浅野内匠頭による吉良上野介切り付け~浅野内匠頭切腹~赤穂浪士による吉良邸討ち入り~赤穂浪士切腹までのいわゆる赤穂事件が起こったのは江戸中期の元禄14~16年(1701~1703年)ですが、江戸時代には赤穂浪士を祀ることは憚られていました。
明治元年(1868年)になって、明治天皇が赤穂浪士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わし、これを弔ったことから、赤穂浪士を祀る神社を建立する動きが出てきたようです。
大石神社は明治33年(1900年)創建ですが、社殿が完成したのは大正元年(1912年)。赤穂城三の丸にあった大石内蔵助など赤穂藩家老の屋敷跡に建立されました。
尚、ここでは一般的に定着している赤穂浪士と記載しましたが、地元では赤穂義士と呼ぶのがならわしとなっています。