いよいよ本日のメインイベントの金刀比羅宮参拝です。
金刀比羅宮はこんぴらさんとも呼ばれますが、漢字で書くと金毘羅(金比羅)さん。ヒンドゥー教のガンジス川の鰐の神(水の神)・クンビーラが語源とされています。
琴電に乗って琴平駅に到着。
先ずは琴電琴平駅の隣にある高灯籠を見学。万延元年(1860年)に完成し、高さ27メートルで木造灯籠としては日本一の高さらしい。
貸し杖がずらりと並んでいます。レンタル料は1本100円。杖を使うと確実に脚が楽なのは分かっているのですが、画像撮影などをする際に邪魔に感じることもあるので、今回は杖なしで行きます。周りを見ても、杖を使っている人はあまりいなかったです。
琴電琴平駅から徒歩7~8分、ここから表参道のスタートです。それでは気合い入れていきましょう。
最初はアーケード商店街みたい。
100段目に到達。お土産屋さんの松浦百段堂がありました。
一之坂鳥居は113段目、まだまだです。
元金刀比羅宮宮司で日本水難救済会創設者の琴陵宥常銅像(288段目)。
掃海母艦「はやせ」主錨(288段目)。
金刀比羅本教総本部(351段目)。
見えてきた大門(おおもん)は365段目。御本宮まで785段だから、まだ半分も来てないのか・・・大門は高松藩主松平頼重が1654年頃に寄進したもので、ここから先が境内になるようです。
大門をくぐると鎌倉時代から営業を許可された5軒の飴屋さん、通称「五人百姓」が加美代飴を売っています。
石段と石段の間に平坦な道があると、ほっとします。
429段目、ちょっとした広場みたいな所に出ました。
御厩に飼われている神馬の月琴号とルーチェ号。つぶらな瞳がかわいい。
今治造船奉納プロペラ。
飼い主が首に巻いた袋に初穂料や道中の食費を入れて旅人に託し、飼い主に代わってこんぴら参りをしたとされるこんぴら狗。
表書院と四脚門は江戸前期1654~1660年頃の建築で、国指定重要文化財(477段目)。
表書院の入場料は大人800円。
玄関に飾られていた森寛斎の「檜樹鷲図」だけ眺めて、こんぴら参りを続けます。
資生堂パーラーが運営する「カフェ&レストラン神椿」があるのは500段目。
祓戸社は瀨織津姫神・速秋津姫神・気吹戸主神・速佐須良姫神の4柱を祀ります(595段目)。
同じく595段目の火雷社、御祭神は火産靈神・奥津比古神・奥津比賣神に加え、八衢比古神・八衢比賣神・來名戸神も合祀されています。
ついにゴールの御本宮、ではなく旭社なのは予習していたので知っていました。ここで628段目。旭社(あさひのやしろ)は江戸時代末期天保8年(1837年)に旧神宮寺の金堂として建立されました。明治期の神仏分離令後は、旭社として天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神を祀っています。
旭社の前には長椅子のある休憩所がありますが、私はまだ大丈夫そうなので、休まず登って行きます。
旭社から御本宮までは参道が上りと下りに分かれます。
賢木門(さかきもん)は長曽我部元親が寄進しました(642段目)。
伊勢神宮をはじめ全国皇陵諸社を遥拝する遥拝所(653段目)。
真須賀神社は「須賀」と付くのでスサノオノミコトを祀っているのかなと思ったら、やはり御祭神は建速須佐之男尊と后神の神奇稲田姫尊でした。ここは652段目、あれっ遥拝所から1段下がった?
うわっ、やめて!御本宮までの最後の難関、133段ある御前四段坂です。
大年神・御年神・若年神を祀る御年神社(703段目)。
御本宮の社殿が見えた?
大国主神の御子神である積羽八重事代主神(えびす様)・味鉏高彦根神・加夜鳴海神を祀る事知神社(739段目)。
785段目の御本宮、先ずは第一弾のゴールです。金刀比羅宮の御祭神は大物主神(=大国主神)、大神神社と同じですね。第75代崇徳天皇も合祀されています。
本宮神饌殿。
本殿・中殿・拝殿をはじめ、本宮・別宮の各建物は明治初期の1875~1878年に造営されていまて、国指定重要文化財。
御本宮と御別宮を結ぶ南渡殿も国指定重要文化財。
御別宮(三穂津姫社)には大物主の后である三穂津姫が祀られています。
神楽殿は明治11年(1878年)建立、平成15年(2003年)現在地に移築。国指定重要文化財。
展望台から向こうに見えるのは讃岐富士こと飯野山。標高422メートルの小さな山ですが、独立峰なので存在感がありますね。
途中画像撮影で少し立ち止まったりしながら、階段の1段目から御本宮までの所要時間はちょうど30分。ちなみに帰りは全く立ち止まることなく17分でした。
急ぐとどっと疲れが来るので、自分では抑えめのペースで登りました。ずっと整備された石段ですし、何より晩秋の涼しい時期でしたので、言われているほど大変でもなかったです。これが暑い夏だったら、全く感想も違うと思いますが。