ホテルにチェックイン後、チャイナタウン・ビノンドにあるチャイナタウンミュージアム(中華街博物館)へ向かいます。
ラッキーチャイナタウンモールというショッピングモールに入っているのですが、LRTカリエド駅からは徒歩20分弱掛かります。モールの敷地内に屋台も出ていて、日曜日ということもありかなり賑わっていました。中国人観光客も多いですね。
ミュージアムはモールのノースウィング4階にあります。
入場料は大人150ペソ。
スペイン統治時代にはフィリピンの主要都市に「パリアン(PARIAN)」と呼ばれる中国人居住地が設置され、マニラのPARIANは何度か移動しましたが、最終的に落ち着いたのがビノンドです。
ビノンド(Binondo)の語源はタガログ語の「Binundok」で低い丘陵を意味します。
ミュージアムに入って最初の展示は、1596年に創建されたビノンド教会に関するものです。スペイン統治下のフィリピンにおいて、中国人はカトリックへの改宗を求められ、ビノンド教会がその信仰の拠点となります。
18世紀にはビノンドの隣、サンニコラス地区のサン・フェルディナンド通りにAlcaiceríaと呼ばれる市場が建設されました。ここは市場であると共に、ジャンク船に乗ってきた中国からやって来た(移民ではない)商人・貿易商の居留地や税関の役割も果たしました。
メスティーソ・デ・サンレイ(Mestizos de Sangley)の生活様式を再現した展示。フィリピンの中国人はサンレイ(Sangley)と呼ばれ、中国人とフィリピン人の混血がメスティーソ・デ・サンレイです。マレーシア・シンガポールのプラナカン(ババニョニャ)と同じかな。
FUMADERO PUBLICO DE ANFION、阿片屈でしょうか。
19世紀末に宗主国がスペインからアメリカに代わると、ビノンドは銀行や保険会社が並ぶ金融街へと発展します。
特にエスコルタストリート(Eacolta Street)には19世紀末から20世紀の初めの古い重厚な建物が残っていて、翌日散策してみました。
チャイナタウンの店舗・商店を再現した展示もありました。
EL 82はローマン・オンピン(罗曼・王彬)氏が1882年に開業した金物屋で、美術用品・画材なども販売していました。
ローマン・オンピンは華人系フィリピン人のビジネスマンで、スペインからの独立運動を支援した人物でもあります。チャイナタウンのメインストリートであるオンピンストリートも彼の名前から取ったものですし、ビノンド教会脇には彼の銅像も建っています。
ホーピア(好餅)のPOLLAND。
Botica de San Fernandoは漢方薬局のようです。
スペイン統治下末期の19世紀の終わりに整備されたTRANVIA(トラム)。当初は馬で引くスタイルでした。
正直言いますと、見学時はそれほど面白いとは思いませんでした。イントラムロスにも同じようなコンセプトの「バハイ・チノイ(Bahay Tsinoy/菲華歴史博物館)」が以前からありますが、個人的にはバハイ・チノイの展示の方が充実しているように感じました。
帰国後にチャイナタウンミュージアムのHPで展示内容を再確認しながら、色々ネットで調べたことで初めて知った・理解出来た部分も多く、それなりに予備知識がないと、興味を持って見学することは難しいと感じました。