ホテルにチェックインして、一休みしたらもう夕方になってしまいました。
ミアガオ教会やガリンファームへ行くのに思っていた以上に時間が掛かり、イロイロ市内の観光名所を回る時間が無くなってしまいました。
昨晩は全く眠れなかったので眠気も疲労もピークなのですが、カレ・レアル/Calle Real(王室通り)とも呼ばれ、古い建物が残っているJ.M.バサストリート周辺の散策だけは行ってみようかな。シティプロパー地区という旧市街、古くからの繁華街・ダウンタウンです。
J.M.バサストリートをはじめ5つの通りが集まるロータリー的な交差点でタクシーを降りました。ここが一番の中心地っぽいです。ホテルからタクシー代は110ペソ程度。
Iznart通りの入口にはフィリピン・中国フレンドシップアーチ(菲中友誼門)がありますが、タクシーの運転手が「フレンドシップ・・・」と苦笑していました。最近フィリピンと中国は南沙諸島をめぐり外交関係が最悪ですからね。スペイン統治時代は隣のモロ地区がパリアン(Parian)と呼ばれる中国人居住区でしたが、その後チャイナタウンはこちらへ移って来たようです。
交差点から少し北へ行ったところに、怡朗中華商會や怡朗華商学院と書かれたビルもありました。「怡朗」はイロイロの台湾・閩南語(福建省南部)での呼び方です。
交差点周辺には古い建物、Locsin Coscolluelaビル(1930年築)。
こちらのCelso Ledesmaビルは1923年に完工したようです。
少しだけですが、中華街の痕跡である漢字も発見出来ました。
他は1950年代のビルが多いですね。
それでは一番のメインストリートである、J.M.バサストリート(カレ・レアル)を歩いてみます。
先ほどのIzanart通りにも面していたCelso Ledesmaビル(1923年築)です。
Pilar Bulding、建築年は不明ですがこちらも1920年代でしょうか。
S.Villanueva Building(1925年築)。
通りを挟んで隣のビルも同じS.Villanueva Buildingという名称でした。建築年の記載はありませんが、同じく1925年のようです。
1950年と1951年の建物。
Ng Chin Beng Hermanos Building(1922年築)。
またまたS.Villanueva Building、こちらは1927年築。
このエリアを代表する建物と言えるEusebio Villanueva Building(1927年築)。かつてはワシントン・インターナショナル・ホテルでした。ネオクラシック様式の建物は、夜のライトアップした姿も映えそうですね。
サイドビュー。
その隣のDivinagracia-Alba Buildingは1913年築と1910年台の建築。
Javellana Building(1922年築)、こちらはネオルネッサンス様式と言うらしい。Eusebio Villanueva Buildingのネオクラシック様式との違いが分かりません。
このビルにはロベルト(Loberto’s)という有名な肉まん屋がテナントで入っているのですが、ぎりぎり閉店時間で間に合いませんでした。
イロイロカスタムハウス(イロイロ税関)、1916年築。
Regent Building(1928年築)、かつてリージェントシアターという映画館がありました。
間口はそれほど広くなかったのですが、奥に長くなっています。
通りを挟んで隣にあるのがCine Eagle(1927年)、こちらも映画館でした。
J.M.バサストリートを離れ、MAPAストリートを歩いていきますと、ビルとビルを結ぶ歩道橋「南安橋」。
怡朗中山中学。
1933年に建てられたDoña Pacita Buildingを改修したゴールドベリー ライト ホテル。直前までここに泊まろうか迷っていました。
アルデゲル通り(Aldeguer St.)でも中華街の痕跡を発見。広東省出身者の同郷会・相互扶助組織「廣東會館」の建物です。
1931年に建てられたようです。
もう閉鎖されているのかな?
ホテル周辺まで4km前後あったのですが、ブラブラ歩きながら帰りました。イロイロ川を渡ったところで絵になるサンセットの風景。
J.M.バサストリート周辺はコロニアル調の古い建物が残る素敵な町並みでした。西洋風の中に中華テイストもある何とも言えない雰囲気で、フィリピンっぽくない、シンガポールやマレーシアに似ている印象でした。今回ほとんど時間がなかったのですが、またいつか来てみたいです。
フィリピンで歴史的建築物というとスペイン統治時代のものが頭に浮かびますが、今回散策したJ.M.バサストリートの古い建物は主に20世紀前半(1910~1930年代)のものなので、アメリカ統治時代となります。