次は弘前城と並んで今回の青森旅行でメインイベントと思っていた三内丸山遺跡です。
青森県立美術館から雨の中を10分ほど歩いて到着しました。入場料は大人410円ですが、青森県立美術館と相互割引制度があり、同美術館の入場券の半券を提示すると団体料金の330円になります。
三内丸山遺跡は縄文時代前期~中期(紀元前約3,900~2,200年、つまり現在から約5,900~4,200年前)の大規模な集落跡です。元々は野球場建設予定地で、以前から遺跡があることは分かってたようですが、野球場建設の事前調査をしたところ、とんでもないものが出てきて保存されることになったもの。
平成9年(1997年)に国の史跡、平成12年(2000年)には特別史跡となり、令和3年(2021年)には世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産として登録されました。日本で一番有名な縄文遺跡と言っても過言ではありません。
先ずは屋外にある実際の集落・ムラ跡から見学しましょう。雨が降っているのですが、ヨーロッパ系の外国人団体客がたくさんいます。
たくさんの竪穴建物が見えます。あくまで復元ですけど。ところで「竪穴式住居」じゃないの?と思ったのですが、竪穴式住居→竪穴住居となり、更に用途が住居に限らないため、最近は「竪穴建物」という表記が増えているようです。私が習った頃とは変わった用語も結構あるんですよね。
縄文土器みたいなのが落ちているのですが、レプリカだよね。
その竪穴建物ですが、よく見ると茅葺き・樹皮葺き・土葺きの3種類があります。この3種類を想定して復元されています。
竪穴建物の内部に入ることも可能です。
雨が降っているせいかブルーシートが被せている箇所があります。
大型竪穴建物跡でした。
向こうに見えるのは掘立柱建物。
(復元)道路の脇に楕円状に盛り上がったものがたくさん並んでいるんですけど・・・
土を掘って穴(土坑)をつくり、そこに人の遺体を納めた墓が並んだ土坑墓列でした。
北の谷(低湿地)は主にゴミ捨て場として使われていました。
北盛土。竪穴住居や穴を掘った時の土やゴミ、焼けた土や炭、石器や土器などが長期間継続して棄てられていて、小山のように盛り上がったものが発掘調査時のまま保存施設内で展示されています。
子どもの墓は保存展示施設の建替工事待ちで公開中止となっています(とりあえず工事まで土に埋めて保存?)。子供の遺体は土器に入れて埋められました。
大型竪穴建物。長さ32m、幅約9.8m、床面積約250㎡で日本最大のものらしい。住居の他に集会場や共同作業場という説もあります。
ガイドに連れられた外国人観光客の皆さん。
三内丸山遺跡と言えばこれっ!とも言うべき構造物の大型掘立柱建物。高さは14.7メートル、あくまで想定復元ですけどね。
こちらのドーム状の建物に大型掘立柱建物の柱穴の遺構が保存展示されているのですが、見学する人は少なかったです。こっちが本物・実物なのに・・・
柱穴は直径約2メートル、深さ約2メートル、4.2メートルの間隔で6つの穴があります。
木柱の周囲と底は焦がしてあったようです。
結構雨漏りしている箇所があり、こちらも近々建替えもしくは補修が必要かもしれません。
行きに混雑していたのでやり過ごした南盛土を見学します。
三内丸山遺跡では3ヶ所の盛土が発見されていますが、この南盛土とさきほどの北盛土では土・ゴミ・石器・土器などの他に土偶もたくさん見つかっています。
周囲に石を環状に並べた環状配石墓。集落の有力者の墓とみられています。
団体ツアー客で混雑している箇所もあり、一旦通り過ぎてまた戻って来たりしたので、この屋外ゾーンの見学所要時間は55分程度でした。私は割とじっくり見学したのですが、ざっと見るだけなら30~40分でも可能だと思います。