弘前城の北側には武家町だった仲町(なかちょう)重要伝統的建造物群保存地区が広がっています。
弘前城の北門(亀甲門)を出てすぐは亀甲町と言い、ここは商人町でした。目の前に石場家住宅があります。石場家は藁製品や荒物を扱っていた商家です。建物の建築年代は不明ですが、形式などから江戸時代中期と推定されており、国指定重要文化財となっています。
石場家住宅は個人宅ながら公開しており、入場料もわずか100円と安いのですが、時間がないので今回は諦めました。
亀甲町の北側に広がる小人町、馬喰町、若党町の一帯が仲町重要伝統的建造物群保存地区です。現在も当時の地割りを踏襲しており、昔ながらの門・板塀・サワラの生垣が続く古い町並みが残っています。
仲町重要伝統的建造物群保存地区では4軒の武家屋敷が一般公開されており、しかも入場無料となっています。寄贈などにより全て弘前市の管理下にあることで(税金の投入により)無料が実現されているのでしょう。
無料とはいえ、4棟全てを見て回る時間はないので、唯一重要文化財に指定されている旧笹森家住宅を見学することにしました。
意外と質素な作りです。備中松山城の城下町・高梁でも見学したことがあるのですが、おおよそ100~300石程度の中級武士の住宅です。こうした武家屋敷って、個人宅ではなく、藩から提供されるいわば官舎・社宅なんですよね。
笹森家は宝暦6年(1756年)の文献に記載があることから、それ以前の江戸時代中期に建てられたとみられ、この地区内に残る最古の武家住宅と確認されています。だから重要文化財に指定されているのでしょう。但し、元々地区内の別の場所にあったのを解体し、平成24年(2012年)現在地に復元したものです。
笹森家住宅から徒歩1~2分で伊東家住宅と梅田家住宅が同じ敷地内にあります。旧笹森家で切らしていたパンフレットをもらうのが目的でした。
旧伊東家住宅は1800年代初頭の建物とみられ、地区外の元長町(弘前城の東南)から昭和50年代に移築されたものです。
元藩医の住宅で、中級武士と同程度の扱いだったとされています。
奥にある旧梅田家住宅は茅葺きで、江戸末期の嘉永年間(1848~1854年)に建てられたとされます。知行は100石未満だったようで、4棟の中では最も格下です。昭和57年(19852年)に寄贈を受け、在府町(弘前城の南)から現在地へ移築されました。
最後に旧岩田家住宅にも寄ってみます。旧笹森家住宅の管理人さんから、旧岩田家住宅だけオリジナルの場所に建っていて、4棟の中では最も格上の武家屋敷だったと聞いたからです。
通りはきちんと手入れされたサワラの生垣の景観が美しいです。
こうした立派な門構えのお宅が多いです。
伊東家・梅田家が保存地区の西端、岩田家が東端ですが、それでも徒歩7~8分で着きます
旧岩田家は寛政時代末から文化年間(1800年前後)に建てられたと考えられており、知行300石と4棟の中では最も格上の中級武士の住宅です。急ぎ足で中を見学させてもらいます。
他に見学者もおらず、最初に行った旧笹森家住宅の管理人さんとしばらく雑談をして、色々教えて頂けたので楽しかったです。