弘前城 曳屋で仮移転中の天守はいつ戻る?

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今回の青森旅行で三内丸山遺跡と共にこの為に来たと言っても過言ではないのが弘前城です。

弘前城は慶長16年(1611年)弘前藩2代藩主・津軽信枚によって築城されました。弘前藩はお国替え・転封がなく、12代・約270年間にわたって津軽氏(旧 大浦氏)の治世が続きました。

藤田記念庭園から外濠に沿って歩いてきました。

外濠の外側も内側(三の丸側)も桜並木なのですが、開花予想日まで1週間程度あります。シーズンになると桜の花びらで外濠はピンクのカーペット状態になるようです。

正面玄関の追手門は慶長16年(1611年)の築城時のもので国指定重要文化財。弘前城には築城時からの門が5つ残っており、国指定需要文化財となっています。

中濠の向こう側に二の丸辰巳櫓が見えてきました。

杉の大橋で中濠を渡ると二の丸です。

二の丸の入口にある南内門。

二の丸未申櫓(ひつじさるやぐら)。辰巳櫓、丑寅櫓と共に築城時からのもので国指定重油文化財。

二の丸辰巳櫓(たつみやぐら)。

弘前城情報館。結構人がいたのと時間が余りないので、軽く流し見した程度でしたが、大した展示はなかったような。

内濠に架かる下乗橋を渡るとそこは本丸です。橋を渡った先に券売所があり、そこからは有料区域。料金は大人320円、弘前城植物園・藤田記念庭園とセットになった共通券(大人520円)もあります。

事前に聞いていた石垣工事ですね。

おおっ、天守が見えてきました。

弘前城の本丸石垣は外側に膨らむ「はらみ」が見られたことから、天守を曳家方式で移動させ、石垣修理工事が行われています。天守を移動させたのが2015年、石垣の耐震工事などが追加されたこともあり、現時点で天守が元の位置に戻るのは2027年度とされています。なんやかんやで10年以上も仮天守台に留まったままになるのですね。

仮設の展望デッキが設けられており、そこから弘前城を望みます。背景に岩木山が見えていますが、この眺望が見られるのはこの仮移設中だけ。

本丸の南東角にある本来の天守台。弘前城の天守は元々「櫓」という名目で建造されたものなので隅っこにあります。

やけにピンク色の桜?は結構つぼみが膨らんでいます。ソメイヨシノはまだまだって感じでした。

櫓という名目で建てられたので小さいですね。高さ14.4メートルで、備中松山城丸岡城よりは高いですが、現存12天守としては10番目の高さです。慶長16年(1611年)の築城時の天守は5層6階だったとされていますが、寛永4年(1627年)に落雷で焼失しました。以降長らく天守のない状態でしたが、文化7年(1810年)9代藩主・津軽寧親により現在の3層3階の天守が建造されました。現存12天守の中では(伊予)松山城に次いで新しいです。

天守内部も見学出来るようになっています。

石落(いしおとし)。

白壁の内部構造。

曳屋に関する展示もありました。

お城なので階段は急ですが、丸岡城備中松山城ほど傾斜はきつくありません。

三代藩主・津軽信義が使用した杏葉牡丹紋が付いた駕籠。

続いて最上階の3階へ。

天守自体が小さいので、1~3階全般的に展示物は多くないです。

どこのお城の天守にも、なぜか他のお城の写真を飾ってあるような気がするんですけど。

石垣普請番屋。

本丸石垣修理事業に係るパネル・模型等の展示を行っております。

実際の工事現場を眺めることも出来ます。

本丸から北の郭へやって来ました。

明治44年(1911年)に演武場として建設され、現在は休憩所となっている武徳殿。

二の丸丑寅櫓(うしとらやぐら)。

来週からのさくらまつりに備えて大量の屋台の準備が進んでいます。さぞや満開の桜に囲まれた弘前城は美しいのだろうと思いますが、ものすごい人出で混雑するでしょうし、ホテル代も2~3倍に高騰するので、比較的少ない時期にしました。

帰りは北門(亀甲門)から出ました。築城後しばらくはこちらが正門だったようです。

追手門から入城して北門(亀甲門)から出るまで、見学の所要時間はほぼ1時間でした。

天守は築城時のものではないですが、築城時からの3つの櫓と5つの門が残っていることは初めて知りました。天守を含めて9棟が重要文化財に指定されており、文化財の数としては結構多いですね。

いつか現存12天守を制覇したいと思っているのですが、現在の住所から一番遠くて行きづらい弘前城を今回訪れることが出来てすっきりしました。

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