高岡駅前で昼食を済ませ、次は瑞龍寺に向かいます。
高岡山瑞龍寺は前田家3代目当主(加賀藩2代目藩主)前田利常が、加賀藩初代藩主で前田家2代目当主の前田利長の菩提を弔うために慶長19年(1614年)建立されました。
前田と言えば初代当主・前田利家が有名ですが、利長は利家の長男で最期は高岡城で亡くなっています。
瑞龍寺と前田利長公墓所のある前田公園は八丁道という参道で結ばれています。長さが八丁(八町)・約870メートルあることからこの名が付いています。
途中には前田利長公之像があります。
拝観料は大人500円。もう総門から立派なのが伝わってきます。
総門の手前に展示されていた法堂の鬼瓦、めちゃくちゃ大きい。
総門から山門、仏殿と一直線に並ぶ空間美。
瑞龍寺の伽藍配置図。人体に例えられています。
本当に美しい寺院ですよね。
雄大な山門は文政3年(1820年)の竣工で国宝です。
山号「高岡山」の扁額(の原本)は黄檗宗の開祖・隠元隆琦禅師の揮毫。瑞龍寺は曹洞宗の仏教寺院ですが、同じ禅系で臨済宗から分離した黄檗宗(大本山は京都・宇治の萬福寺)の影響も受けています。私は長崎で黄檗宗の存在を初めて知り、それ以降興味を持っていたので、なんだか不思議な縁を感じます。鎌倉時代に日本へ伝わった曹洞宗や臨済宗と比べ、黄檗宗は江戸時代と比較的最近伝わったことから中国の影響が強く残っています。
山門を抜けると正面に仏殿が見えているのですが、その手前左右には禅堂と大庫裏があります。山門・禅堂・大庫裏・法堂は回廊で繋がっており、その中心に仏殿が位置します。
仏殿は万治2年(1659年)の竣工で国宝に指定されています。
「大雄殿」という扁額が掲げられています。黄檗宗では本殿のことを大雄宝殿と呼ぶのですが、その影響かもしれません。大雄(だいおう)とは釈迦の別称です。この扁額も隠元禅師の揮毫です。
須弥壇に釈迦如来と脇侍の普賢菩薩・文殊菩薩が安置されています。
本尊の釈迦如来。
大権修理菩薩(大権修利菩薩)。初めて知ったのですが、禅宗、特に曹洞宗寺院で尊重され祀られる尊格で伽藍神の1つ。右手を額にあてて遠くを見る姿勢で表現され、身体には唐時代の帝王の服装をまとっている姿で表現されることが多いらしい。
仏殿の裏には法堂(はっとう)があります。法堂は明暦元年(1655年)の建立でこちらも国宝に指定されています。
この「瑞龍寺」の扁額も隠元禅師の揮毫。
それでは回廊を回ってみましょう。
大茶堂の前に安置されている賓頭盧尊者。「なで仏」ともいわれ、自分の体の悪い部分と同じ箇所を撫でると、病気やケガが治るとされています。
鐘楼の1階部分に安置されている延命地蔵菩薩像。
寺院の台所である大庫裏。
中国から渡来した黄檗系仏師・范道生の作とされる韋駄天像。黄檗宗では伽藍の守護神として山門の内側に安置されることが多いです。
主にお堂への出頭を促す合図を送るための鳴物で雲の形をした「雲版(うんぱん)」。雲は雨を降らせる恵みの象徴であり、火事や災害を防ぐ意味合いもあるとされています。
回廊。
浴室の守護神・跋陀婆羅菩薩(ばっだばらぼさつ)。
瑞龍寺で最も有名な仏像、東司(トイレ)の守護神・烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)。この像はレプリカで、本体は法堂に安置されていて撮影禁止となっています。
座禅修業の場である禅堂(僧堂)。
日常の行事や儀式の刻限を報じる魚の形をした木製の法具「開梆(かいぱん)」、「魚梆(ぎょほう)、飯梆(はんぼう)」とも。木魚の原形とされています。
ガイドっぽい方と山門の2階から降りてきた参拝客がいて、見学出来るのかなと思ったのですが、一般は立入禁止で特別な許可が必要なようです。
回廊の外側、法堂の脇あたりにある石廟。向かって右から、前田利長、前田利家、織田信長、織田信長の側室・正覚院(利長の正室・永姫の母)、織田信忠が祀られています。
前田利長公を祀る石廟。中には宝篋印塔があります。
きれいに整備された境内に存在感のある伽藍、威厳に満ちた寺院でした。
2022年12月に勝興寺の2棟が国宝に指定されるまで、瑞龍寺は高岡市唯一の国宝でした。山門・仏殿・法堂の3棟の国宝に加え、国指定重要文化財も7棟あり、見どころがたくさんあります。
この後の予定も詰まっているので少し急ぎ足で拝観しましたが、所要時間は35分でした。