高岡市には古い町並みが残る重要伝統的建造物群保存地区が3ヶ所もあります。
その内、山町筋と金屋町は比較的中心部にあり、互いに近いのでまとめて行こうと思っていましたが、もうひとつの吉久は離れているので眼中にありませんでした。
旅行直前に(訪れる予定の)気多神社や勝興寺がある伏木地区の地図を見ていたら、「あれっ、小矢部川に架かる橋を渡ったら吉久?」ということに気付き、急遽予定に組み込みました。
正式には「よしひさ」と読むのですが、愛称として「よっさ」と呼ばれることもあるようです。
吉久に着いて最初に西照寺という浄土真宗本願寺派の仏教寺院へやって来ました。
境内に吉久御蔵跡があります。と言っても説明板が立っているだけですが。
吉久は小矢部川と庄川に挟まれた細長い中洲のような地形で河口付近にあります。承応4年(1655年)に加賀藩の年貢米を保管する「御蔵(おくら)」が建てられたことから、海運・水運をメインとする物流の拠点として発展した歴史があります。
現在は周辺に大きな工場や倉庫が立ち並ぶ中、ぽっかりと古い町並みが残っているという不思議なエリアです。
それでは旧街道を歩いてみましょう。
軒先に小さな鐘が釣り下がっているなあと思ったら、智徳寺という仏教寺院でした。
吉久は「さまのこの町」と名乗っているように、さまのこ=千本格子が特徴です。この後に行った金屋町重要伝統的建造物群保存地区も「千本格子の家並み」を謳っています。
元米商の能松家住宅主屋。明治期の建物で有形文化財に登録されています。吉久地区にはこの能松家住宅主屋を含め4件の登録有形文化財があります。明治になって御蔵が廃止された後も、吉久は多くの米穀商が住んでいました。
農庵(みのりあん)という看板が出ていました。後で調べるとイベントスペースとして使われているのかな?
石灯籠が並んでいますけど、何だろう?
神明社という神社でした。参拝はしませんでしたが、神明社なので内宮(天照大御神)と外宮(豊受大御神)を祀っているはず。
有藤家住宅は大正5年(1916年)築で登録有形文化財。
さまのこ屋という町家カフェ。
明治期に建てられ、大正期に増築された丸谷家住宅(旧津野家住宅)主屋は登録有形文化財。奥にある土蔵も有形文化財に登録されています。
あっという間に吉久地区の散策も終わり、新吉久駅(電停)から万葉線で高岡駅へ向かいます。万葉線は高岡駅から越ノ潟駅(射水市)を結ぶ路線。高岡駅~六渡寺駅が路面電車の高岡軌道線、六渡寺駅~越ノ潟駅は通常の鉄道である新湊港線の2路線に分かれていますが、一体運営されており、特に乗り換えなどはありません。
新吉久駅は道路幅が狭いため、下りはかさ上げされた上屋付きのホームがありますが、上りはペイントされた安全地帯の乗り場のみ。隣の吉久駅は上下線共にペイントされた安全地帯の乗り場のみです。
上り用の待合スペースは道路脇に。
使用車両は2タイプあり、2車体連接型のモダンなMLRV1000形(アイトラム)。
こちらはザ・市電という感じのデ7070形。
新吉久駅の副駅名で付いているTEKリサイクルセンターというごみ処理場が目の前にあり、昭和25年製造のデ5000形(デ5022号)が展示されています。
万葉線は広小路・米島口区間を除き単線ですが、上下線のすれ違いの為に新吉久駅周辺は複線化されています。
私が乗ったのは古いタイプのデ7070形でした。
吉久重要伝統的建造物群保存地区は規模が非常に小さく、お店などもほとんどありません(グーグルマップで確認する限り、通りに飲食店が2軒のみ)。せめて登録有形文化財の建物には説明書きの札などがあれば、理解が深まって良いと思います。
町が発展した歴史のストーリーは個人的に興味を持ちましたが、多くの人にとって観光的にはあまり面白味はないかなあと思いました。住民の方が観光地化・にぎわいを望んでいるかは分かりませんが。
見学出来る施設もないので単に歩いて通り過ぎるしかなく、所要時間は10~15分程度。