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気多神社の次は勝興寺(しょうこうじ)へ向かいます。
勝興寺は文明3年(1471年)に創建されたる浄土真宗本願寺派の仏教寺院で、天正2年(1584年)現在地に移転しました。戦国時代は越中一向一揆の拠点となり、江戸時代には加賀前田藩と密接な関係にあって壮大な伽藍が築かれました。
境内は周りより一段高い位置にあり、森に囲まれ石垣っぽいものが残っていたのですが、かつては古国府城があった跡地のようです。
1998~2021年にかけて大規模な改修工事を行った後、2022年には本堂と大広間及び式台の2棟が国宝に指定されました。それまで高岡市にある国宝は瑞龍寺の3棟のみでしたが、勝興寺の2棟が新たに加わりました。
総門から入ります。総門は天保11年(1840年)に建立され、国指定重要文化財。城郭の外門でよく見られる高麗門様式です。総門を入った先に受付があり、拝観料は大人500円。
檜皮葺の立派な唐門も国指定重要文化財。明和6年(1769年)に京都・興正寺で建立され、明治26年(1893年)に勝興寺へ移築されました。
受付の近くにあった「勝興寺の七不思議」の立て札。忘れない様に見つけましょう。
唐門を抜けると正面に本堂が見えているのですが、先ずは七不思議の1)実ならずの銀杏。
七不思議の2)天から降った石。
経堂は文化2年(1805年)建立で国指定重要文化財。内部には極彩色を残す八角輪蔵が安置されていますが、一般客は見学不可。
唐門を抜けた時から見えていましたが、圧倒されるほどの堂々たる本堂。寛政7年(1795年)西本願寺阿弥陀堂を模して建立されたもので、2022年国宝に指定されました。
堂内も見学出来ます。
御本尊は阿弥陀如来。
本堂内に七不思議の5)魔除けの柱。本堂の柱は全て欅で作られていますが、この魔除けの柱だけ桜で出来ています。敢えて不完全な形で残すことで魔除けの意味があるそうです。
本堂の四隅に七不思議の4)屋根を支える猿と書かれていますが、天邪鬼(あまのじゃく)と補足されています。
本堂の向かって左手にある七不思議の3)水の涸れない池。
もう一つの国宝である大広間及び式台へ向かいます。
その途中に七不思議の7)三葉の松。
大広間は承応2年(1653年)、式台は18世紀末頃に建てられました。
向かって右が式台、左が大広間となっています。
現在は建物の向かって右半分全体が式台とされていますが、本来式台って玄関先の一段低くなった板敷きの部分ですよね。
式台は外来客の家来の控え所、挨拶の場となっていました。
大広間は128畳。
格別に豪華なつくりの「上段の間」は、天皇の使いの「勅使」が座ったとされています。
台所へ向かう途中に展示されていた「梅鉢紋蒔絵女乗物」。加賀藩第六代藩主・前田吉徳の十男・時次郎(後の加賀前田家11代、加賀藩第10代藩主の前田治脩)が勝興寺に僧侶として入山した際に使われた大名駕籠と伝わっています。
台所は文久3年(1863年)の建立でここも国指定重要文化財。
床の上から使える井戸があります。
次は書院へ向かいます。
平成の大修理で建物の多くは瓦葺から創建当初の姿である柿葺(こけらぶき)へ変変更されましたが、その施工模型。柿葺きは柿の木を使っているというわけではなく、木の薄板を幾重にも重ねて施工する工法です。
洛中洛外屏風図 勝興寺本(複製)。オリジナルは高岡市美術館に寄託されており、国指定重要文化財。
この先にも奥書院、御内仏、御霊屋といった重要文化財があるのですが、見学出来るのはここまででした。
境内には他にも国指定重要文化財があります。
式台の正面にある式台門、宝永2年(1705年)建立。
式台門を表側から。
漆喰となまこ壁の宝蔵は江戸時代末期の建立。
享保18年(1733年)建立の鼓堂。
一部は見学出来ませんでしたが、勝興寺には国宝2棟・重要文化財10棟があり、見ごたえ充分でした。そういえば七不思議のうち6)雲龍の硯を見逃していました。立札によると書院にあったようです。
この後もギチギチのスケジュールを詰め込んでいるので急ぎ足の拝観となりましたが、所要時間は約45分でした。



































