気多若宮神社を参拝し、次は白壁土蔵街へ急ぎます。なにせ飛騨古川に滞在出来るのは1時間半、この時点で残り1時間を切っています。
気多若宮神社からひたすら真っ直ぐ歩いて行き、高山本線の線路も越え、白壁土蔵街のスタート地点にやってきました。白壁土蔵街を流れる瀬戸川が荒城川と合流する地点で弁財天堂があります。
七福神の一人である弁財天はヒンドゥー教の女神・サラスヴァティーが仏教に取り入れられたものです。神道では宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命となります。水の女神であり、琵琶を抱えていることから音楽神・芸術神ともされます。
それでは白壁土蔵街を歩いてきましょう。
まさに土蔵ですね。
こちらのお宅に干されているのは何だろう?
粟・稗とかかな?
白壁土蔵街から少し離れて本行寺に寄ってみます。
本行寺の手前に小さな社がありました。高山市街にもたくさんあった秋葉神社です。火の神様である迦具土神(カグツチ)を祀り、火事除け・火伏せのご神徳があります。
本行寺の立派な山門・・・なのですが、前の道路が工事中で正面から撮影出来ませんでした。
本堂も堂々たる建物で、飛騨地方最大の木造建築らしいです。
本行寺は親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗の仏教寺院で、親鸞聖人の像があります。飛騨古川では親鸞聖人の遺徳をしのび、1月15日(親鸞聖人の命日である1月16日の前日)に浄土真宗の円光寺、真宗寺、本光寺の3寺院を参拝する「三寺まいり」という伝統行事があるそうです。
境内には「野麦峠の碑」もありました。明治・大正期には多くの飛騨地方の若い女性が野麦峠を超えて信州の製糸工場へ出稼ぎに行きました。
本行寺の裏手、荒城川に架かる霞橋。
また白壁土蔵街に戻って来ました。
この用水路みたいなのが瀬戸川。
「町川泳ぐ 鯉に藤咲く 飛騨古川」、金子兜太という俳人の句らしい。色鮮やかな鯉が瀬戸川を泳ぐ姿は飛騨古川を代表する景観ですが・・・
冬の間(11月下旬~4月上旬)は瀬戸川が除雪した雪を流すための「流雪溝(りゅうせつこう)」として使われるため、鯉は増島城跡の天神池に引っ越しするようです。
白壁土蔵街が裏通りとすれば、壱之町通りが表通りです。
白壁の土蔵付きのお宅は・・・
渋い元?散髪屋さん。
創業240年超、江戸時代から続く三嶋和ろうそく店。和ろうそく店とは古い町並みのイメージにぴったりですし、この時代にも続いていることが素晴らしいですね。
土蔵付きの大きな建物が見えてきました。
蒲酒造場という造り酒屋です。主屋は明治39年(1906年)築、同時に建てられた袖蔵、仕込蔵一、仕込蔵二、文庫蔵と共に国の登録有形文化財。
酒屋らしく軒下には大きな杉玉が吊るされています。蒲酒造場の代表銘柄は「白真弓」。
ベンガラの格子が美しい「割烹 朝日館」。
ちょっとテイストが異なる西洋風な大正ロマンといった雰囲気の建物は、カフェレストラン「蕪水亭OHAKO」。
飛騨古川を代表する造り酒屋の渡辺酒造店です。
「杜氏酛摺り像」。酛摺り(「もとすり」と読みます)は、日本酒の素となる酵母(酒母)を育てる為に米・米麹を水と共にすり潰し液体状にする工程で、「山卸し」とも呼ばれます。山卸しは大変な作業ですが、その後の技術革新などもあり、これを廃止する製法が取り入れられ、それが「山廃仕込み」です(山廃=山卸廃止)。
ずっと渡辺酒造店の建物が続きます。渡辺酒造店の代表銘柄は「蓬莱」、この日の夕食で頂きました。
杉玉に注連縄がされています。
お酒を注ぐ女性の石像。
お猪口でお酒を受ける男性の石像。
渡辺酒造店の裏手、白壁土蔵街の方へ回ってみます。
渡邉家住宅主屋・酒蔵・漬物蔵・中蔵・上手蔵・土蔵別館の6棟が国の登録有形文化財になっています。最も古い中蔵は江戸時代の文化元年(1804年)、最も新しい土蔵別館は昭和9年(1934年)の建物。
白壁土蔵街を抜けて、映画「君の名は」の聖地巡礼スポットの一つ「味処古川」へ。
映画のシーンの通りここで五平餅を食べようと思っていたのですが、店内飲食のみ?さっとテイクアウトで買って、駅へ戻りながら食べようと思っていたのですが・・・時間がないので諦めます。
飛騨古川駅へ戻る途中に気多若宮神社御旅所がありました。前はまつり広場になっています。
同神社の例祭でユネスコの無形文化遺産にも登録されている古川祭、その中の神事「起し太鼓」で使われる大太鼓が展示されていました。
わずか1時間半の滞在で充分とは言えませんでしたが、しっとりとした歴史を感じられる飛騨古川の町並みを散策することが出来て良かったです。