飛騨高山2日目、今日1日で高山市街と飛騨古川を周るので朝早くから活動をスタートします。
高山には中学の修学旅行と大学時代の計2回来ているのですが、ここを見学したという確たる記憶がほぼないんですね。唯一、超能力・念写の福来博士記念館だけは見学したことを覚えています。
高山といえば「飛騨の小京都」と呼ばれ、古い町並みが観光名所の一つです。高山市には三町と下二之町大新町の2ヶ所の重要伝統的建造物群保存地区があるのですが、先ずは高山市下二之町大新町重要伝統的建造物群保存地区に向かいます。
かつて酒屋や米屋と共に養蚕・農業を営んでいた宮地家住宅(高山市指定有形文化財)。通りに面する主屋は明治8年の大火で焼失、明治12年(1879年)頃に再建されたものとみられています。
明治8年の大火では計1,032棟が焼失しており、このエリアの建物はそれ以降、つまり明治期以降のもので江戸時代のものはないようです(明治8年以降も何度か小中規模の火事あり)。
高山は何度も火事に見舞われており、天明4年(1784年)の大火が過去最大の被害で2,342棟が焼失、明治8年(1875年)が1,032棟でワースト2となっています。古い町並み・町家が好きなので各地で行くのですが、どこも火事との戦いの歴史というのを実感します。
下二之町大新町重要伝統的建造物群保存地区は江戸時代から高山と富山を結ぶ旧越中街道沿いの商家町として栄えました。一般的な商家町ではなく、職人や半農半商的な職域の者が多く住んでいたようです。
明治11年に創業し、戦前まで生糸を扱っていた高桑屋。
このエリアでは珍しい3階建ての建物。いつ頃の建築だろうかと思って検索してみたのですが、分かりませんでした。
元々それほど観光客が多いエリアではない上に、まだ朝8時前なので人通りはほとんどありません。
国指定重要文化財の吉島家住宅。明治8年の大火で焼失、明治9年に再建、更に明治38年にも火事の被害を受け、明治40年(1907年)に再建された町家建築です。代々吉島家は生糸・繭の売買、酒造業、金融業を営んでいました。ここは見学可能で入場料は大人500円。
元造り酒屋らしく杉玉が下がっていますね。
向かって右手には防火・延焼防止用の袖壁である「火垣」が設置されています。
吉島家住宅の隣にある日下部家住宅。こちらも国指定重要文化財で吉島家住宅と並びこのエリアを代表する町家建築です。日下部家は幕府の御用商人として、後には両替商として財を成しました。明治8年の大火で焼失し、明治12年(1879年)に再建されています。現在は「日下部民芸館」として公開されており、入場料は強気の大人1,000円。
昨晩食事をした「京や」。こちらは新潟から移築した古民家らしい。
古くから重要伝統的建造物群保存地区に選定され、いわゆる飛騨高山の古い町並みとして観光客が大挙してやって来る三町に比べると、下二之町大新町は少しマイナーな存在?レストラン・商店も多くないので、歩いている人もそれほど多くなく、落ち着いて散策出来ます。