金魚ミュージアムから歩いて平城宮跡に戻って来ました。
平城京は710年に唐の都・長安をモデルにして建造された首都であり、平城宮とは平城京の中の天皇が住む内裏、儀式を行う朝堂院、役人が執務を行う外朝からなる大内裏です。現在でいうと・・・平城京=東京都、平城宮=皇居+霞が関、こんなイメージでしょうか?
平城宮跡は「古都奈良の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録されています。また世界遺産登録前から当時の建造物の復原が始まり、2008年からは国営平城宮跡歴史公園として整備されるになり、現在も続いています。
ちなみに「復元」とは失われて消えてしまったものを、かつての姿どおりに新たにつくることで、「復原」とは元々の姿が改造されたり、変化してしまった現状の姿を元通りに戻すことらしいです。
平城宮を南北に貫く朱雀大路、向こうに見えるのは平城宮の正門である朱雀門。
朱雀門の手前左右には、1)天平みはらし館、2)天平つどい館、3)天平みつき館、4)天平うまし館といった観光交流施設や、5)平城宮いざない館という建物があり、展望デッキ、物販コーナー、展示・資料館、カフェ・レストランなどとなっています。
天平うまし館で簡単に遣唐使の歴史などを学び、屋外に展示された復元遣唐使船を見学します。
遣唐使船の構造。
せんとくんもいました。
平城宮いざない館では、出土品・構造模型・資料の展示、当時の生活の様子などを含めて平城宮跡全体の歴史や概要を知ることが出来ます。
そして朱雀門へ。
朱雀門を抜けて北へ進むと線路が出現します。
平城宮跡という世界遺産の中を近鉄奈良線が通っているのです。将来的には平城宮跡の南側へ迂回するルートへ移設されるようです。
向こうに見えているのは「大極門」。
大極門とは第一次大極殿院(だいごくでんいん)の南側に位置する正門です。大極殿院とは天皇の即位や外国使節との謁見など国家の重要な儀式が行われた平城宮の中心的なエリア。
「第一次」となっているのは、聖武天皇の時代に次々と別の場所へ遷都され、また平城京へ戻ってきた歴史があるからです。第二次大極殿院は第一次大極殿院の東側にあります。
大極門の隣では東樓が復原中。将来的には西樓も復原されるのだと思います。
大極門から(第一次)大極殿を望む。
大極門を横から。
大極殿へ近づいてみます。南側と西側から見た限り、柵があって中には入れないのかと思い外から撮影しただけですが・・・後で入口は北側にあり、内部見学も出来ることを知りました。
大棟中央飾り。当時の中国建築に見られる装飾で、法隆寺東院夢殿のものを参考に復元したものです。
火除け・火伏せの意味がある鴟尾。飛鳥時代に中国から伝わったとされ、もう少し時代が新しくなると鯱に変化します。
あれは若草山?
第一次大極殿院 復原事業情報館。復原作業の様子を収めたビデオが鑑賞出来、鴟尾・屋根瓦の原寸大レプリカなどが展示されていました。
最後に平城宮跡の北西の端にある奈良文化財研究所 平城宮跡資料館へ。大量の展示品というわけではなく適度な量なので、飽きずに興味深く見られました。
平城京の地割。JR奈良駅、近鉄奈良駅、興福寺、元興寺など現在の奈良市中心部は「外京」という東北の張り出した部分、東大寺は外京からも外れ、京外にあります。
内裏における天皇の生活の様子を展示した宮殿復原展示コーナー。
平城宮・平城京で出土した遺物を展示している遺物展示コーナー。
人のうんちも見つかっています。木の棒はおしりをふくのに使いました。
こんな感じで見学して、所要時間は約1時間半。東側の第二次大極殿跡、東区朝堂院跡、東院庭園、遺構展示館などは見ていないので、全てをじっくり見学すると3時間程度は必要になるかもしれません。
尚、全て入場は無料と太っ腹です。但し、平城宮跡資料館や遺構展示館など月曜定休の施設があります。
最後の平城宮跡資料館から朱雀門ひろばのバス停まで歩いて戻るとなると15~20分位は掛かりそうなのですが、平城宮跡の北側の通りにもバス路線があるので、そちらで奈良市街中心部へ向かいます。