世界遺産 中城城跡を独り占め

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中村家住宅から徒歩7~8分で中城城跡に到着しました。

世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」に登録されている5つのグスクのうち、首里城跡以外にもう一ヶ所行きたいなあと考えると、那覇から一番近くて行きやすそうな中城城跡という選択になりました。

北中城村が運営するコミュニティバス「グスクめぐりん」を利用して来たのですが、中城城跡は北中城村と中城村の境界にあり、大半が中城村で受付のある入口付近は北中城村なんですね。

入場料は大人400円。入口から一番奥にある正門のそばまで電動カートで送ってくれるので、奥から入口に向かって見学していくことになります。

正門へ行く前にカンジャーガマ(鍛冶屋跡)。

正門を抜けると・・・

西の郭というエリアに入ります。中城城は西の郭・南の郭・一の郭・二の郭・三の郭・北の郭と分かれています。

西の郭から一の郭の城壁を見上げたところ。

石垣の修復工事が行われています。

ナミナミノ御イベ(長門御嶽)という拝所。

順路に従い、階段を南の郭へ上がって行きますと3つの拝所があります。

小城ノ御イベ(久高遙拝所)、

御當蔵火之神(首里遙拝所)。

雨乞イノ御嶽。

次は一の郭へ向かいます。

アーチ状の城門が出てきました。

城門を抜けると城の中心となる一の郭です。

ここに正殿がありました。また1945年に第二次世界大戦で焼失するまで中城村役場も一の郭にありました。

中森ノ御イベ(着替御嶽)という拝所。

一の郭から南の郭方面を望む。

また同じようなアーチ状の城門をぐぐると二の郭です。

太陽を背景にしておもしろい画像が撮れました。

拝所「シライ富の御イベ」。

太平洋が一望できるということなので、石垣を登ってみますか。

沖縄の美しい海の絶景が広がる・・・と思いきや、そうでもないか。

城壁の曲線は美しい。

二の郭から三の郭を見下ろします。

日露戦争の戦没者の忠魂碑。

二の郭から西の郭を経由して北の郭へ向かっていると、「ハブに注意」の看板が。

北の郭にはウフガー(大井戸)があります。

北の郭から階段を上がって三の郭にも行ってみました。中城城は14世紀後半までに先中城按司が数世代にわたって築城してきましたが、三の郭は15世紀半ばに城主となった護佐丸が北の郭と共に増築したエリアなので新城とも呼ばれます。

下記画像はさきほど行った二の郭の城壁ですね。

北の郭から裏門を抜けます。

夕暮れでいい感じに画像が撮れました。

上の画像を見ていて既視感と言うか懐かしい気持ちになり、今回の沖縄旅行で一番気に入った場所が中城城跡でしたが、やっと理由が分かりました。学生時代に行ったインド・ラージャスターン州のジョードプルやジャイサルメールの城塞・城砦に似ているんですよ。で、ネットで検索して見比べてみたら、全然似ていませんでした。

世界遺産の碑も撮影しておきましょう。

中城城跡の見学を終えて17時、帰りのバスの時間まで45分ほどあるので、中城城・城主でもあった護佐丸の墓にも行ってみようと思います。

中城城跡の入口から徒歩5~6分で墓への入口に到着しました。県道146号線から分れた道路沿いにあります。

護佐丸公之御墓という碑が建っています。

階段を上って来ます。

この階段どこまで続いているんだと思いましたが・・・

意外と大したことはなく、すぐに墓へ到着しました。

元々あった墓が崩壊し、護佐丸の死から200年以上経過した1686年に造られたものです。中国発祥で沖縄でよくみられる亀甲墓ですが、この護佐丸の墓が現在沖縄で見つかっている亀甲墓で最古のものらしい。

墓室を塞ぐ蓋石と香炉石。

「毛國鼎護佐丸之墓」の碑。毛國鼎は護佐丸の唐名(中国名)らしい。久米村毛氏の始祖にも毛國鼎という同名の人がいますが、別人です。

中城城跡自体の見学は所要時間約45分、それに護佐丸の墓が移動も含めて25分程度だったかな。私以外に入場客は全く見かけず、世界遺産の中城城跡にたった一人という贅沢な時間でした。

次は勝連城跡・座間味城跡・今帰仁城跡のどこかに行き、いつかは世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」に登録されている5つのグスクをコンプリートしたいなあと思います。

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