丸岡城の急階段

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丸岡バスターミナルから歩いて10分弱で丸岡城の麓に到着しました。中学校の修学旅行で北陸に来たのですが、丸岡城には寄らず、バスガイドの「あれが丸岡城です」というアナウンスで高速道路上から眺めただけだったと思います。

丸岡城の別名である霞ヶ城の碑が建っています。ここから階段と坂道を上って行きますが、小高い丘に築かれた平山城ですので、たいしたことはありません。そう考えると、7月に行った備中松山城はしんどかったなあ。

天守への入城料は大人450円。券売所(霞ケ城公園管理事務所)には無料のコインロッカーがあります(預けるのに100円硬貨が必要ですが、後で戻ってきます)。コロナ禍で観光客もまばらでしたので、私は無事預けられましたが、コインロッカーは2個と数に限りがあります。ちなみにJR丸岡駅にも無料のコインロッカーが6個ありました。

独立式望楼型2重3階の小さな天守です。現存十二天守の中では備中松山城に次いで小さく、備中松山城の天守が約11メートルに対し、丸岡城は約12.5メートル。また私が見慣れている姫路城は約31.5メートル。

丸岡城は柴田勝豊によって1576年に築城され、最古の現存天守とされてきましたが、最近の研究によると、天守は寛永年間(1624~1644年)、具体的には1628年に建造されたという可能性が高くなっています。よって現在では、最古の現存天守は犬山城が有力、これに松本城が対抗という感じでしょうか。

天守入口へまっすぐ伸びる階段。

階段脇に石製の鯱(しゃち)が置かれています。丸岡城の鯱は元々木彫銅板張りでしたが、昭和15~17年の修理の際に石製にされました。戦時中で金属類の調達が難しかったのが理由です。その石製の鯱は昭和23年6月の福井大震災で落下、破損した姿がこれです。震災後、昭和27~30年の大修理の際にまた元の木彫銅板張りに戻され、現在に至るようです。

天守台の石垣と天守の間の雨漏りを防ぐ「腰庇(こしびさし)」という斜めの板張り構造。

天守内部に入ります。

かつての丸岡城の模型。当時は五角形の内堀がありました。

丸岡城は天守が国の重要文化財に指定されていますが、こういう証書がちゃんとあるんですね。

昭和23年6月の福井大震災で倒壊した時の写真。現在の丸岡城は昭和27~30年にかけて、元の部材を70%以上再利用して再建されたもの。

天守を支える6本の太い柱。

格子状の突き上げ窓。

こういう出窓みたいなのは石落とし。

丸岡城名物の急階段で2階に上がります。傾斜の角度は65度なんて言われています。

階段の両脇には手すりの他、ロープも設置されています。急勾配に加えて、階段の踏み板も小さい(奥行きがない)ので登り降りが難しく、特に降りが怖いです。個人的にはロープより手すりを掴んだ方が安心して上り下り出来ました。

2階から1階を見下ろしたところ。

丸岡城では一般的な粘土から作られる瓦ではなく、笏谷石という火山礫凝灰岩で作られた石瓦が使われています。

2階から3階への階段はさらに急角度のようです。1階~2階の階段が65度に対し、2階~3階は67度らしいです。ちなみに姫路城では最大傾斜が52度。

しかもすぐ後ろに板があり、狭くて入りにくいです。

最上階の3階は四方に窓があり、丸岡の町の景色を眺められます。

次は天守の周りぐるっと歩いてみます。

天守正面(東側)の鬼瓦、口を開いた阿形になっています。

反対の西側は木の葉に遮られて撮影が難しいのですが、口を閉じた吽形になっているそうです。

ついでに隣接する丸岡歴史民俗資料館(入場料は丸岡城天守と共通)を軽く見学して、トータルの所要時間は約1時間でした。天守をざっと見るだけなら30分でも充分だと思います。

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