続いてクンバンジュプン通りの北側を散策してみます。
西側のパングン通り(Jalan Panggung)から。
2階はバルコニー付き、玄関先は鉄製の柵をしているショップハウスが多いです。治安が良くない=泥棒が多いのでしょうか?
先に魚市場(パサール・イカン)があり、周辺でもたくさんの海産物を売っています。
ここがパサールイカンかな。
路面が濡れており、魚臭い水がズボンの裾に跳ねたら嫌だなあ・・・バイクや台車もたくさん通って、狭い通りは混雑しています。
西洋風のペディメント(破風)のある建物。1913年建造みたいですね。
こちらの1331年はイスラム教のヒジュラ暦。西暦1913年=ヒジュラ暦1331年ですが、ヒジュラ暦の1年は約354日なので、両者の年差は常に同じではありません。数字の下にはイスラームのシンボル「三日月と星」があります。
スラバヤのチャイナタウンで見る古そうな建物は19世紀後半から20世紀前半のものですが(スラバヤに限らず、どこのチャイナタウンもそんなもの)、この平屋はもっと古そうな感じもします。
1892年建造のショップハウス。
西暦189?年、ヒジュラ暦が1311年なので、西暦1893年かな。
こちらは1899年建造。
古い歴史ある建物がたくさん残っているのですが、いかんせん保存状態が今一つです。きれいに修復して、おしゃれなカフェとか入れば観光名所にもなりそうなのですが、華人に対する差別・反感の残るお国柄なので、そうもいかないのかな。
気の向くままウロウロ散策していた中でたどり着いたJalan Kalimati Kulon。
小さな家内工業的な店の前に、石獅が設置されています。
そして福建発祥で、日本では沖縄にたくさんある魔除けの「石敢當」もあります。インドネシアで見られるとは思いませんでした。
クンバンジュプン通りの東の端近くは、軒下の部分が歩道となっている騎楼・5フットウェイのあるショップハウスが連なっています。このあたりは中華菓子店・ベーカリー(餅店)が多く、多少の漢字も見られます。
TOKOは商店・ショップ、KUEはお菓子・ケーキを意味するインドネシア語、PIAは餅を意味する福建語由来の単語。中国語の餅は、日本で言う餅とは異なり、小麦粉を加工した食品・スイーツを意味します。
チャイナタウン東端の牌楼。
ドゥク通り(Jalan Dukuh)を歩いてみます。
この建物は屋根が崩壊しています。
鳳徳軒(Klenteng Hong Tiek Hian)という中国寺院。
福建省泉州三邑(普江、恵安、南安)地方の人々が信仰する廣澤尊王の他、文昌帝君、福徳正神、天上聖母(媽祖)などが祀られています。
疲れてきたので、もうかなり適当になってきました。
クンバンジュプン通りも牌楼を過ぎると、カパサン通りと名前を変えます。牌楼から東へ5分ほど行ったところに、最後の目的地、Klenteng Boen Bio=文廟、つまりは孔子を祀った廟です。1883年創建。
門が閉ざされていて、中には入れませんでした。
さてホテルに帰ろうとタクシーを待ってみたのですが、このあたりはせいぜいベチャくらいでタクシーがほとんど通りません。たまに通っても客を乗せたタクシー。
結局、チャイナタウンの西の端、ジュンバタンメラあたりまで戻ってやっと捕まりました。30分くらい探したかな。
観光客らしき人はほぼ皆無。
それとチャイナタウンと言いながら、はっきり華人と分かる人もそれほど多くないし、お国柄もあって漢字がほとんど見られないので、チャイナタウンという感じがほとんどしなかったです。
ネットで検索すると、スラバヤの人口300万人超のうち華人人口はその1/4~1/2くらいまで色々説がありますが、いずれにしてもそんないるのかと感じました。
どの程度血が入っていれば華人とするのか、少しでも入っていれば華人なのか等、華人の定義もよく分かりません。
一方で在スラバヤ日本国総領事館のウェブサイトには、「スラバヤ市の宗教上の人口構成比率は、イスラム88%、プロテスタント6%、カトリック4%、ヒンドゥー・仏教その他が2%となっている」と書かれています。
この数字とスラバヤの人口の1/4~1/2が華人という比率をどう考えればいいのか・・・どちらかの数字が間違っているか、かなりの華人がイスラム教徒ということになります。