<本ページにはプロモーションが含まれています>
今回長崎に来た一番の目的は、中華街・チャイナタウンと長崎華僑・華人の歴史を知ることでした。
その一環で興福寺、福済寺、崇福寺の長崎三福寺、更に聖福寺を加えた長崎四福寺と呼ばれる中国系の仏教寺院(唐寺)を巡ってみようと思います。
こうした唐寺創建の背景は、江戸時代初期の1613年徳川家康が切支丹禁教令(慶長の禁教令)を出し、全ての民衆はいずれかの寺院の檀家になって、キリスト教徒ではなく仏教徒であることを証明しなければならないという寺請制度が成立したことです。
この寺請制度により長崎在住の華人もその受け皿となる仏教寺院が必要となり、1620年代に中国から僧侶を招き、出身地別に興福寺、福済寺、崇福寺、更に50年ほど遅れて聖福寺が創建されました。
興福寺 浙江省・江蘇省

福済寺 福建省南部(泉州・漳州)

崇福寺 福建省北東部(福州・福清)

聖福寺 広東省

またこれら4寺は黄檗宗という禅系宗派に属しています。
小学校の社会では日本の禅宗には曹洞宗と臨済宗の2派があると習った記憶がありますが、黄檗宗は初めて知りました。黄檗宗は臨済宗に近い(臨済宗から分派した)宗派のようです。
曹洞宗や臨済宗が日本に伝わったのは鎌倉時代ですが、黄檗宗は江戸時代に中国明~清代の臨済宗僧侶・隠元隆琦(隠元禅師、隠元和尚)が来日して開いた宗派。本山は京都府宇治市にある黄檗山萬福寺。隠元隆琦はいんげん豆の名前の由来となった僧侶でもあります。
曹洞宗や臨済宗に比べると日本に伝わったのが比較的新しく、正統派の中国禅を自任することもあり、中国色が強いとされています。
興福寺、福済寺、崇福寺は創建当初どこの宗派にも属していませんでしたが、隠元禅師の来日後に黄檗宗(当時は臨済宗黄檗派)に属するようになりました。
それでは立地を考慮し、福済寺→聖福寺→興福寺→(昼食をはさんで)崇福寺の順に回って行きたいと思います。