伝統建築の家屋が並ぶクリソロゴ通り 世界遺産の街 ビガン

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そして最後になりましたが、ビガン観光と言えばここ、石畳で有名なクリソロゴ通りです。ホテルの近くなので、ちょこちょこ通っていましたし、昨晩も雨の中を散歩しましたけどね。

ちなみにクリソロゴ通りの名前は、ビガン生まれの政治家マルセリーノ・メナ・クリソロゴから来ています。

プラザブルゴスに面した北側の入口から歩いて行きます。この日は土曜日ということで、フィリピン人を中心に観光客でかなり賑わっています。

ローストチキンのチェーン店「MANG INASAL(マン イナサル)」の前にI?VIGANのサインが。クリソロゴ通りの他の場所でも昨晩見たような気が。ここで昼食にしようと思ったのですが、かなり混んでいて諦めました。

スペイン統治時代の伝統的な様式の家屋が並んでいます。

1階はスペイン風の石・レンガ造りで2階は木造というバハイ ナ バトと呼ばれる独自の家屋建築。2階にはテラコッタの装飾や貝殻細工で障子風の窓などがあり、これらは中国の様式と言われています。

こうした2階にある障子風の明り取りの窓の白い部分は貝殻で作られています。

この建物には何かマーカー(プレート)が付けられています。CASA DE DON GABRIEL FLORENTINO 1902、ドン ガブリエル フロレンティーノさんの家。1902年に建てられたのかな。

昨晩行ったカフェレオナは、女流詩人レオナ・フロレンティーノの生家でしたが、同じフロレンティーノですね。ビガンでは有名な一族のようです。フィリピン独立に尽くした国民的英雄、ホセ・リサールもフロレンティーノ家の末裔だそうです。

ピンクとか黄色(クリーム色)といったパステルカラーの家屋もありますが、建設当時のオリジナルからこんな色だったのでしょうか?

クリソロゴ通りと言えば、カレッサ(馬車)ですよね。ベタですが、私も後で乗りました。

中国風の握り輪を咥えたドア金具を発見。中国ですと竜生九子の椒図が定番なのですが、これもそうかな?

地図を見ると分かるように、ビガンは中国と近く、昔から中国(主に福建省)の船がやって来て貿易が盛んでしたので、中国文化の影響も大きいのです。さっきの市庁舎前にあった教会関係の記念碑の入口には中国風の石獅子が設置されていました。

そう言えば、泊まっていたホテル ベネト デ ビガンの斜め前にVIGAN NAN CHONG SCHOOL(美岸南中学校)という華人学校もありました。

ビガンの名前の由来は、中国語の「美岸」。日本人からしても、そのままやんけって感じですね。余談ですが、ビガンは英語でVIGANと綴りますので、ヴィガンと発音するようにしていたのですが、ビガン(BIGAN)と発音した方が通じるように感じました。

話をクリソロゴ通りに戻します。

クリソロゴ通りはずっと南の方まで続いていますが、石畳になっているのはリベラシオンブールバードとの交差点まで。世界遺産に登録されているのは、リベラシオンブールバードの次に出てくるシラン(Silang )通りを過ぎたあたりまで。

クリソロゴ通りの周りも歩いてみます。

この建物は朽ちかけているので、1階部分がレンガ造りであることがよく分かります。

道路工事をやっているところが何ヶ所がありました。

ここもいいなあと宿泊候補に考えていた、ホテルルナ。いかにもビガンという感じの、伝統的な建物です。

ビガンにスペイン人がやって来たのは1572年ですが、現存するバハイ ナ バトと呼ばれる伝統的な2階建の家屋は18世紀中頃~20世紀初め位のものが大半でしょうか。古いもので250年級。

私は東南アジアのチャイナタウンに行き、ショップハウス(町家)を見るのが好きなのですが、ビガンのものはこれらとデザイン的に大きく異なり、新鮮でした。

クリソロゴ通り周辺の地図とホテル

ビガンのホテル

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