関公廟と明郷仏寺 ホイアン旧市街観光

 

中華会館を見学し、これでホイアン旧市街にある

華人の同郷会館6ヶ所を全部回ったのですが、ホテルに

戻る途中にあるので、關公廟もついでに見ておきます。

 

入口にある前殿は鮮やかな色彩が目を惹きます。

澄漢宮というのが正式な名称かな。

 

祀られているのが関公=商売の神様・関帝(関羽)の

せいか分かりませんが、目の前にホイアン市場があります。

 

中に入ると、前殿に何か祀られています。

 

「敬如在」と書かれた神位です。

 

敬如在って初めて見たけど、何だろう?

 

ネットで検索してみると・・・

 

如在は、日本語の「如才」の語源。

「如才ない」が誉め言葉で、如才自体は手抜かりなど

悪い意味になっていますね。

 

本来はるがくという意味です。

 

敬如在は、論語の教え「祭如在,祭神如神在」が

基になっており、神仏・祖先が目の前に在るが如く

(いるが如く)敬って参拝せよということらしいです。

 

正殿には「協天宮」の扁額が掲げられています。

関帝は協天大帝とも呼ばれ、他に関聖帝君、関帝聖君、

関夫子、伏魔大帝、伽藍菩薩・伽藍神などの呼び名も。

 

関羽の愛馬とされる赤兎馬ですね。

 

そしてここにも白兎馬?

関羽と同じ後漢末期~三国時代の武将・曹洪の馬と

される白鶴(白鵠)なのかな?

 

昨日行った、同じく關公を主神とする廣肇會館にも

祀ってありました。

 

主祀の関公、ガラスに光が反射して撮影し辛い。

 

 

手前には關公の従者、関平と周倉。

関帝廟の随神としてはお馴染みの二柱です。

 

 

後殿に回ってみると、アヴァロキテーシュヴァラ

ボーディサットヴァ パゴダ、つまり観音菩薩寺という

別の仏教寺院になっていました。

 

殿内には観音菩薩が三柱祀られています。

後光?の電飾がいかにもベトナムって感じですね。

 

 

 

観音佛寺の偏額。

 

観音菩薩像の前にあった謎の展示品。

チャム族(チャンパ族)の遺物で、蓮(のつぼみ?)を

模した線香の石像らしい。

 

こちらは亀の上に乗っているので玄天上帝、仏教で

いうところの妙見菩薩でしょうか。

 

こちらの舌を出している像は何でしょう。

 

中国で舌を出した神明と言えば、謝将軍(七爺・

白無常)がすぐに思い浮かびますが、姿からしても

違うような。

 

それにここは道教寺院ではなく仏教寺院だしなあ。

餓鬼のようなものでしょうか?

 

境内には小型の猛禽類。唐突感は否めませんけど。

グーグル画像検索で調べたところ、カンムリワシかな?

 

門には明郷佛寺と書かれています。

 

關公廟と明郷佛寺は明朝滅亡前後にベトナムへ移って

きた華人系住民・明郷人によって1653年以前に創建され、

ホイアンで最古の華人系廟宇と言われています。

 

また明郷佛寺は、現在ホイアン歴史文化博物館になって

いると後で知ったのですが、他に見学する所はあったの

かなあ?

 

上のカンムリワシを含めて唐突に展示されている感じが

ありましたが、博物館と言うほど展示品があったようには

思えなかったですけど。

 

ダナン空港へ向かうバスの時間も迫っているので、

ホテルに戻ります。

 

ホイアン旧市街の地図とホテル

ホイアン ウォシュレットがあるホテル・サービスアパート

 

カテゴリー: ベトナム | タグ: , , | コメントする

中華會館 ホイアンで最初に設立された華人の集会所兼廟宇

 

自転車で江戸時代の日本人商人の墓3ヶ所を回り、また

旧市街へ戻って来ました。

 

昨日ホイアン旧市街にある潮州、瓊府(海南)、明郷、

福建、廣肇と出身地別の5つの同郷會館を見学しましたが、

もう1ヶ所、中華會館というのがあります。

 

中華會館は福建、潮州、広東、海南、嘉応(現在の

広東省梅県=客家)出身者共同の集会所兼廟宇として

1741年創建。

 

5つの集団・組織によって設立されたので五幇會館とも

呼ばれます。また当初は洋商会館と呼ばれていました。

 

ホイアンの同郷会館の中では最も古いので、先ずこの

中華會館が出来て、その後に各出身地毎の會館が設立

されたのでしょう。

 

目を引く鮮やかなブルーの建物です。

 

 

 

ペナンのブルーマンション(チョンファッツィーマンション)

を思い出しました。

 

この中華會館は華人の集会所・廟宇としてだけではなく、

子弟の学校としても利用されていました。

 

4つの道徳的規範を意味する「禮義廉恥」の文字。

校訓などとして中華系の学校でよく謳われる言葉なので、

ここが学校の建物だったのかな?

 

正殿は天后聖母(媽祖)を祀る天后宮です。

 

入口には媽祖の配神である順風耳と千里眼。

 

 

中央に祀られている主神の媽祖像2柱。

 

 

 

媽祖の左手にはThần Tài、財神です。

財帛星君?比干?

 

こちらは霊位のようですが、烈士の文字が見え、

どうも抗日華僑烈士13柱の位牌が祀られているようです。

 

ここにも木造船の模型が。

帆には一帆順風(日本風に言うと順風満帆)の文字、

舳先に目、小さな祠には天后聖母(媽祖)が祀られて

います。

 

ベトナムでは小さな船の舳先近くに「目」が描かれて

いるのをよく見ますが、水中に棲む怪獣・悪魔から

船を守ってくれる意味があるようです。

 

観光名所としては余り人気がないのか、観光客は

私以外に誰一人いません。

 

これでホイアン旧市街にある華人の同郷会館6ヶ所、

全て見学し終わり、ホイアンに来た一番の目的は

達成しました。

 

時間もないので次に行きましょう。

 

ホイアン旧市街の地図とホテル

ホイアン ウォシュレットがあるホテル・サービスアパート

 

カテゴリー: ベトナム | タグ: , , | 1件のコメント

江戸時代 ホイアンに住んでいた日本人商人の墓地を巡る

 

この日はホイアンからハノイへ移動します。

10時にバスが迎えに来るので、それまではホイアン観光を

続けます。

 

朱印船貿易が行われていた16世紀末から17世紀初頭、

ホイアンには日本人町があったとされていますが、現在

ではその形跡はほとんど見られません。

 

日本橋と呼ばれる来遠橋も、日本っぽい建築物かと

言えばそうではありませんし。

 

そんな中、今日の予定はかつてホイアンに住んでいた

日本人商人の墓を巡るというものです。

 

残っている日本人の墓は3ヶ所、いずれも旧市街から

延びるハイバーチュン通り近く。少し郊外にあるので、

ホテルの無料の自転車を借りて行くことにします。

 

自転車なんて久しぶりだなあ。

よく考えたら、同じホイアンで5年前にクアダイビーチへ

行って以来かも。

 

ハイバーチュン通りを北へ2.5~3km走ると、目印に

していたハイ トゥオン ラン オン(Hải Thượng Lãn Ông )

通りが出てきました。

 

この通りを過ぎて100メートルほどの右手にこんな石碑

が出てきます。Mộ Ông Banjiro=蕃二郎の墓です。

 

ハイバーチュン通りから墓へのアプローチは、麺屋台の

テーブルに占領されていました。

 

ここですね。

 

 

ベトナム語、日本語、英語、フライス語で書かれた

石碑が立っていました。

 

「ここは、1665年、この地に永眠した日本人商人 蕃二郎の

墓地です」及び参拝の注意事項が書かれています。

 

きれいに管理されていますね。

 

 

昭和3年 西暦1928年 文学博士 黒板勝美教授の提唱に基き

印度支那在留日本人一同 工事監督を順化府(=フエ)在住

中山氏に委嘱し此墓所を修築す。

 

蕃二郎の墓から更にハイバーチュン通りを北へ進むと

田園風景が広がります。サイクリング気分で気持ちが

良いです。

 

蕃二郎の墓から5~600メートル先の右手に、今度は

Mộ Ông Tani Yajirobei=谷弥次郎兵衛の墓の案内が。

 

ここから右手の水路沿いの道へ。

 

200メートルほどでまた石碑が。

ベトナム人のおじさんが居て、あそこだと墓を指さして

います。

 

あぜ道のような通路に入って行きます。

稲刈り間近の黄金色に色づいた水田が美しい。

 

 

谷弥次郎兵衛の墓は雑草に覆われてしまっています。

 

墓標に依りますと・・・

 

「1647年、日本人の貿易商人、谷弥次郎兵衛(たにやじろへえ)

ここに眠る。

 

言い伝えによれば、彼は江戸幕府の外国貿易禁止令に

従って日本に帰国する事になったが、彼はホイアンの恋人に

会いたくて ホイアンに戻ろうとして倒れた。

 

この彼の墓は母国の方向、北東10度を向いている。

この遺跡は17世紀にホイアンが商業港として繁栄していた

当時、日本の貿易商人と市民との関係が大変友好的で

あった事の証である」

 

恋人と別れるのが嫌で日本に帰りたくないか・・・

400年前の貿易商人も現在の駐在員も変わらないなあ。

 

おじさんが付いてきていまして、線香に火を点けて

くれました。管理人なのかな?

 

どうせチップ目当てなんだろうなあ。

 

日本人がお参りした際に持ってきたと思われる花束の

枯れたのが残っていました。

 

 

ここにも 黒板勝美教授の件があります。

 

線香代と思い、おじさんに2万ドン差し出したら、

黒板勝美教授の件が書かれた石碑のところへお供えしろ

とのジェスチャー。

 

そこは墓石じゃないんだけど・・・

おじさんは日本語が読めないから仕方ないかと思い、

指示に従います。

 

それよりも親切心を素直に受け取れず、チップ目当て

なんて疑っておじさんごめんよ。

 

アヒルの放し飼い、のどかですね。

 

うわっ、ヘビの死骸だ。

 

チップも受け取らない、凛としたおじさんの姿。

 

お礼を言って、次に行こうと思ったら・・・

 

おじさんがチップくれと手を出してきます。

 

やっぱりそう来たか!

2万ドン渡したけど、さっきのお供えした2万ドンも

後で取りに行くんだろう。

 

管理人ではなく、たまに来る日本人目当ての小遣い稼ぎを

しているだけ?

 

金額的にはしれているけど、後味の悪さを残したまま

最後の墓へハイバーチュン通りを戻って行きます。

 

最初の蕃二郎の墓を過ぎた先のハイ トゥオン ラン オン

(Hải Thượng Lãn Ông )通りを右折して西の方へ。

 

右手の2つめの通りを入り、突き当りを左に曲がって

すぐにありますが、見つけるのに苦労しました。

 

グーグルマップでは「Jack’s Cat Cafe」がある通りです。

航空写真で見ると、レンガ色の敷地に墓があるのが分かり

易いと思います。

 

私は犬に追いかけられたりしながら、前を3回くらい

通って、少し入ったところに説明の石碑があるのに

気付きました。

 

「ここは、1629年、この地に永眠した日本人商人、箕足君の

墓地です」以下、参拝の注意書き。

 

こちらも蕃二郎の墓と同様、きれいに管理されています。

 

3ヶ所ともそうですが、中国風の亀甲墓です。

馬蹄形をしていますが、女性(母)の子宮を意味します。

 

 

入口の石碑には「箕足君」と書いてありましたが、

この墓石を見る限り、「具足君」と読めます。

 

この具足君の墓がきっかけで、在大阪ベトナム総領事館は

大阪市から堺市に移転したそうです。具足君の末裔と

思われる方が、現在も堺で商売をされているとか。

 

商人の町・堺からも朱印船貿易の船が出ていましたし、

具足という珍しい姓でもあるので、信憑性が高いですね。

 

訪れた墓に眠っている3人とも1600年代、350~400年も

前の人なんですよ。

 

今なら飛行機で6時間ほどで来られますけど、当時は

船でどれくらい掛かったんだろう。

 

私も海外駐在した経験がありますが、400年前は今とは

比べようもない位、大変だったんだろうなと思います。

 

血縁関係は全くありませんが、今回3人の墓を回って、

先祖の墓参りを済ませたような清々しい気分です。

 

ホイアン旧市街の地図とホテル

ホイアン ウォシュレットがあるホテル・サービスアパート

 

カテゴリー: ベトナム, 日本 | タグ: , | コメントする

侍食堂 サムライキッチン ホイアンの日本食レストラン

 

ランタンフェスティバルと中秋節が一体となった

ホイアン旧市街をブラブラしていたのですが、夕食は

どこで食べようかな。

 

何となく決め手がないまま、昨晩見つけていた食堂へ

来てしまいました。

 

侍食堂(サムライ キッチン)という和食レストランです。

 

ベトナム語でHiệp Sĩという看板も掲げてあります。

グーグルで翻訳するとHiệp Sĩ=騎士、騎士≒侍という

ことでしょうか。

 

日本を出てまだ2日目ですし、海外でも和食がないと

困るってことはないのですが、ホイアンで日本料理店って

珍しいなあと思いまして。

 

店内は子連れ家族、カップル、それに私と全員日本人客

でした。

 

ご主人らしき日本人男性がお客さんと積極的に会話されて

います。

 

私にはすぐに日本語フリーペーパーを渡して頂きました。

料理が出て来るまでの暇つぶしになって助かります。

 

メニューには日本食各種、バラエティは結構豊富です。

 

注文したのは・・・

 

ウーロン茶、30Kドン。

 

豆腐サラダ、105Kドン(約490円)。

取りあえず野菜も食べないと。

 

親子丼、130Kドン(約610円)。

 

この店に限りませんが、ベトナムの鶏肉って少し歯応えが

あって好きです。ふにゃふにゃじゃないんですよ。

 

日頃、減塩・薄味の食事をしているので、味付けが私には

少ししょっぱいかな。

 

お店に対して悪い印象は全くありませんし、普通に

おいしく頂いて完食しましたが、

 

家庭料理のレベルであって、修業をしたプロの料理人の味

ではないです・・・素人が一生懸命やっているような感じ。

 

ホイアンという日本料理店がほとんどない立地では

ありかもしれませんが、海外でも日本の飲食チェーンまで

進出しているような競争が激しい大都市ではどうでしょう?

 

グーグルマップでは結構高評価なのですが、料理の味だけ

ではなく、ご主人をはじめとしたスタッフの人柄・気遣いも

含めた評価なのでしょう。

 

お店の場所は、ホイアン旧市街のチャンフー通りから

ホイアン市場脇の通りを入ってすぐにあります。

 

ホイアン旧市街の地図とホテル

ホイアン ウォシュレットがあるホテル・サービスアパート

 

カテゴリー: ベトナム | タグ: , | 1件のコメント

ホイアン ランタン祭りと中秋節

 

この日(2019年9月12日)は月に一度のランタン祭りです。

 

ホイアンのランタン祭りは毎月旧暦14日に開催されて

いまして、これを目当てに旅行スケジュールを組みました。

 

そして明日9月13日が旧暦8月15日の中秋節(中秋の名月)、

今月は月に1度のランタンフェスティバルと年に1度の

中秋節が続くので、11~13日の3日間お祭りが開催されて

いるようです。

 

チャンフー通りを中心として、夕方から観光客がどっと

押し寄せています。いつもそうなのか、今日がランタン

祭りで特に多いのかは不明ですが。

 

 

ダナンに宿泊している観光客もやって来るんでしょうね。

 

こちらのBà Mụ Temple Gateはインスタ映えスポットに

なっているようで、画像撮影に熱心な若者でいっぱい。

 

 

このバームー寺は、12人の安産・子育ての女神たち

12 Bà Mụ(十二婆姐)を祀った寺院として1626年に

創建されましたが、現在は門だけが残されています。

 

ブラブラ散歩中に露店でホイアン名物のハーブティーや

マンゴーケーキを買ってみます。

 

トゥボン川沿いのバクダン通りも人が多いですね。

 

この日は遊覧ボートも大繁盛。

 

明日が旧暦15日で暦の上では満月ですが、天文学的な

満月は明後日です。

 

さっき買ったマンゴーケーキを食べる為に、一旦

ホテルに戻ろうとしたところ、近くで人だかりが。

 

ライオンダンス(獅子舞)でした。

これはランタンフェスティバルというより中秋節の

ものかな。

 

 

ホテルでマンゴーケーキを食べてからまた出かけます。

 

トゥボン川の水面に屋形船の光が反射してきれいです。

 

瓊府會館の前でおじさんが何か売っています。

 

これは花文字のベトナム語版かと思いましたが、

違いましたね。

 

瓊府會館などの同郷会館や中国寺院・廟宇は通常

夕方までのはずが、中秋節のせいかライトアップして

夜も開放しているようです。

 

 

 

しかしランタンフェスティバルというわりには街中が

ランタンに埋め尽くされているって感じでもないなあ。

いつも以上に人出が多いだけのような・・・

 

ここは2階にランタンが。

 

 

ランタン屋さんなので、ランタンがいっぱいなのは当然か。

 

夕方にも来たバームーテンプルは相変わらず人が多い。

 

 

ホイアン伝統のハーブティー、Nước Thảo Mộc Sả Chanh

の有名店「Mót Hội An 」。夕方もかなりの行列でした。

 

前回ホイアンで泊まったヴィンフン ヘリテージ ホテル

築200年超の歴史ある町家を利用しており、ホイアンに

来たなら一度は泊まってみる価値があるホテルです。

 

来遠橋(日本橋)までやって来ました。

 

 

トゥボン川沿いのバクダン通りを歩いてみます。

 

川沿いにはずらりと灯篭売りが並んでいます。

 

灯篭は1個10Kドン(約47円)。

 

柄の長いお玉みたいなので、水に浮かべてくれます。

 

そろそろ晩御飯を食べて、ホテルに帰ろうかな。

明日も朝早くから活動する予定だし。

 

またライオンダンス(獅子舞)を発見。

 

激しいダンスが続きます。

 

店主が苦笑いしながら、お金を渡していました。

お金を出すまで踊り続けるのです。

 

純粋に縁起物の伝統行事と思って見ていたのですが、

子供や若者のお小遣い稼ぎにもなっているんですね。

 

この後、ホイアン市場近くの侍食堂で夕食をとり、

ホテルへ帰りました。

 

ホイアン旧市街の地図とホテル

ホイアン ウォシュレットがあるホテル・サービスアパート

 

カテゴリー: ベトナム | タグ: , , | コメントする